それぞれの人生にそれぞれの良さがあり、一つ一つの違った見え方がある。
どれが正解不正解もなく、そこにはそれぞれの価値ある時間が流れている。
我が家には猫がいるのだが、彼らは時々、人間の目には見えないものを見ている。
天井を見上げたり、何も置いていない場所を眺めていたり、目で追っていたりするのだ。
人間の視力では見えていないものが見えているのだろう。
猫には、猫の視点での世界がある。
猫の中でもそれぞれの個性ごとに、見ているものや興味関心のあるものが違う。
人間の動作に興味を持つ者もいれば、マイペースに自分の好きなことを楽しむ者もいるのだ。
これは猫に限らず、人間界でも同じこと。
道端に咲く花や、誰かが手入れしてくれた歩道に咲く花の美しさに気づく人もいれば、花屋さんにある花や庭園の花、季節毎に立派に咲き誇る花に目が向く人もいる。花や自然よりも、もっと別のことに視線が向く人もいる。
同じ地球で同じ時代に生きていても、見えているものや感じるものが違う。
人それぞれに見ているものが異なり、それぞれの感じ方があり、体験することもそれぞれの個性がある。
それぞれに素晴らしく、価値があるのだ。
目に見えるものだけが、すべてではない。
自分では気づいていない美しさや幸せが、そこに存在している。
それぞれの生命にそれぞれのお役目がり、それぞれの命だからこそ、見えるものや体験できることがある。
どれだけ人生経験を積んでいても、自分が見てこなかった世界や気づかなかった世界があることだろう。
自分が見て知っている景色が「当たり前」や「常識」などと思い込みがちだとしても、まだまだ見えていない部分がたくさんある。
たくさんの良さが、この宇宙には存在しているということ。
そこには、「こうでなければならない」ものも「こうであるべきだ」というものもない。
そう感じているだけ。
目に見えるものだけが、すべてではない。
物事の背景を感じ取り、自分が見えているものだけではなく見えない世界にも敬意を払うことは、この世の全ての生命への愛であり、この宇宙に住ませていただけていることへの感謝の姿勢に繋がっている。
あなたが今ここに生かされているという事実も、何か大切なことを見て知り、体験するため。
それは、それぞれの魂の成長にとって意味があることなのだ。
この宇宙に存在するすべてに価値がある。
それぞれの幸せの形があり、それぞれの魂の成長段階がある。
目に見えるものだけが、すべてではない。
この世にはたくさんの愛が、広がっているのだから🍀