自分にとっての幸せの形

今日は、東京都練馬区の光が丘公園へ夫と散歩をしに行ってきた。私たちのように歩いて来るもいれば、車で来ている人、自転車で来ている人もいた。公園内でも、家族でボール遊びをしていたり、アスレチックで遊んだり、一人で楽器を演奏したりと、それぞれがやりたいことをやっていた。たくさんの人がそれぞれやりたいことをやり、自分の時間を存分に楽しんでいた姿を見て、自分にとっての幸せの形はどれもかけがえのないもので、どれも素敵だなと感じた。

同じ公園内でも、感じることは人それぞれだ。

私は、道端にある木々の立派さや季節の花の美しさに感動したり、澄んだ空気を感じてリラックスしたり、空を見上げて歩くことで癒されるのだが、私とは違う感じ方をする人もいるだろう。公園ではその様なことは感じず、私の気づいていないところに視点が行っている人もいる。そう考えると、同じ空間にいても感じ方は違うし、同じ空間でも使い方が人それぞれ違う。

当たり前に思うかもしれないが、その考えを私生活では忘れがちだ。

 

一人暮らしの人に対して、「あの人はまだ結婚しないのかしら。」と言ってしまう人、独身の人が楽しく趣味の話をすると、「いいわね、時間とお金がある人は好きなことができて。」なんて言ってしまったり、やりたいことがある人に対して、「それは難しいから辞めた方がいいんじゃないか?」なんて言ってしまう人もいいる。

この言葉は、私が昔言われた言葉だ。

 

あなたの普段の言動は、どうだろうか?

公園内での人々のように、本当はどんな人でも自分のやりたいことをやり、感じたいことを感じていいはずだ。

 

自分にやりたいことがあるように、相手にもやりたいことがある。自分に感性があるように、相手にも感性がある。

自分との違いを応援したり共感したりできる人の方が、素敵ではないだろうか。

 

世の中には、拠点を持たず夫婦で海外を飛び回り暮らす人もいる。何世帯で暮らす人もいるし、家族との時間を取らず年がら年中仕事ばかりの人もいる。ペットと豊かな時間を過ごして暮らす人もいる。

幸せの形は、人それぞれなんだ。

 

自分の幸せの形を見つけることを妥協しちゃいけない。

あなたの幸せは、あなたの中にあるのだから。

そして、どの人の人生にも価値がある🍀

 

おすすめの記事