神社などにあがると、ほぼ記載がある厄年。厄年は生まれた干支の回りによって、どの人にも訪れるものだ。
厄年の他に、一人一人の生年月日から算出されるものに天中殺がある。
これらをどのように捉え過ごしていけば良いのか、厄年と天中殺についての要約と共に、占星術家として実体験を交えながら解説していきたい。
厄年とは、中国の陰陽五行説に基づき、平安時代の日本で成立した呪術や占術の技術体系である「陰陽道」が元になっている。
男性と女性で数え年が異なり、インターネットで検索をすれば、数え年から何歳の人がどの年に厄年に当てはまるかが誰にでも分かるようになっている。
前厄、本厄、後厄とあり、忌み慎むべきものとされる年齢に起こる厄年。
その時期には、災いが起こりやすいという言い伝えがある。
天中殺とは、算命学により導き出される星ごとの試練の時期。
どの人にも12年の中で2年間回ってくる年天中殺と、12ヶ月の中で2ヶ月回ってくる月天中殺がある(正確には、日もある)。
こちらは生年月日により異なるため、インターネットで検索しても良いのだが、お勧めは算命学の本をご覧になるか、鑑定をしてもらうこと。
自分がどのような星回りをしていて、どう気をつけたら良いかが分かるためである(弊社でも算命学鑑定を西洋占星術と合わせて行っておりますので、ご興味のある方はお問い合わせください)。
厄年も天中殺も、一見怖そうな言葉。
しかし、これは自分をより高め、魂を磨くチャンスの時なのだ。
私は、厄年も天中殺も、神様からの大切な気付きの時期と考えている。
厄年は、普段怠慢になっていないか、傲慢になっていないか、初心を忘れていないかなど、あなたが何か大切なことに気付く必要があるからこそ訪れる。
人によっては大変なことが起こったり、怪我をしやすかったりするそうだ。
その中でも、大きな災いが起こらない人もいる。
実は、私がそうなのだ。
振り返ってみると、思考を前向きで積極的で肯定的にし、日々感謝を忘れず、先祖のご加護や有り難みを感じるようになってから訪れた厄年は、びくともしないのだ。
むしろ、大飛躍、大活躍といった、陰の力をバネに陽転化させるパワーを感じている。
厄年が訪れる前、このように言われたことがあった。
「自分が厄年の時は、事故にあったよ。あなたも何かある!」と。
しかし、蓋を開けても何もない。
人を驚かせ怖がらせるのは、悪魔の仕事だ。
私はその言葉を掛けられた時、「私は大飛躍するし、大活躍するし、人様のお役にどんどん立っていくから大丈夫!自分とご縁のあるすべての人に、太陽のような温かさを与えるんだ!」と自信を持っていたのだ。
普段から神社が心地良いと感じていることもあり、気が向いた時や吉方位に神社がある際にはあがるようにしているくらい。
実は、厄払いをしていただいたこともない。
とても大切なことなのだが、私は普段からブログで「信じ、感じていることが現実になる」とお伝えしている。
厄年や天中殺をどう感じ、どう活かすか。
「自分は今、何をしなければならないのか」や、「自分の使命を全うし、どう世の中のためになるか」「今ある命をどう活かし楽しんでいくか」といったことを考えていると、厄はヒューっと去っていき、むしろ強力な力となってくれる。
厄年や天中殺に関係なく真理に向き合い、自分を少しでも高めることを考えているからこそ、よりその期間でパワーが増すのだろう。
しかし、私にもこのような失敗がある。
私は、どうも意見が的確らしいところがあるようで、自分の星を見てもその星を持っている。
ある月天中殺の時、当時お世話になっていたメンターを訪ね、その人の住む国まで伺ったことがある。
普段通り仲良く楽しく話をしていた時、メンターが珍しく弱みと陰口を言う姿を見せたのだ。
当時私はまだ若く、傾聴力も弱々しかった時。
相談を間に受け、的確にアドバイスを伝えてしまったのだ。
その言葉は誰が聞いても正論だったのだが、相談者はそうはいかない。
自分の気持ちに寄り添ってほしいだけで、アドバイスなど求めていないことが多いのだ。
それをまだ知らなかった私は、大いに叱られた。
しかし、それを機に傾聴力を身につけるきっかけになっただけでなく、あの時怒られた経験が今に生きている。
普段より、良い意味でも悪い意味でも、勢いが出やすい時が天中殺。
「勢いはあるのに天が見放す」という意味を持つため、少し気をつけて自分を客観視する方がいい時期でもあるのだと、怒られた後に気付いたのだ。
これも、大切な学びの一つ。
この経験があったお陰で今の自分があり、今この体験談を書けているのだ。
厄年や天中殺が、また怖いと思ってしまっただろうか?
今度は、気分が上がる体験談をお話ししたい。
実は私、天中殺の年回りに結婚をしている。
後になって知ったのだ。執着しないタイプだとお分かりだろう。
その時期は特に忙しく、充実した日々に感謝をしながら生活をしていたので、天中殺の年だと忘れていたのだ。
しかし、主人は厄年も天中殺もない時期。
尚且つ、彼の持つ星回りは私の星と相性が非常に良く、彼にとって私が宿命の相手の星回り。
だからこそ、付き合って10日でプロポーズされた。
もう何十年も一緒にいるくらい居心地が良く、相性が良い。
私はというと、結婚相手の運気を上げ、彼の星と助け合う星を持っているのだが、これが引越しの時に役立った。
彼が天中殺の時期に今の住まいに引越しをしたのだが、私は何もない時期。
そして私が彼の運気を立ち上げていることで、何の災いもなく無事に新居へと移り住み、今でも快適に暮らしているのだ。
ここから考察したことは、一人の時には厄年や天中殺の影響が自分だけに起こる可能性があるが、誰かと共同で成しえることに関しては、どちらかが運気の良い時期や星回り的に運命の相手であれば、幸せで良いことしか起こらないということ。
女性に起こると言われている33歳での本厄の由来は、「散々」からきているだそうだ。
私は33の数字を見ると数秘の知識から、「感性感覚に優れる数字だ!高次元からのエネルギーを受け取れる有難い数字。きっと直感が鋭くなるから、それを活かして世の中の役に立とう!!」と思っていた。
書きながら思い出してしまったのだが、主人は厄年の時に骨折をしたことがある。
彼は私ほど、普段の言葉もずっと前向きで肯定的ではなく、引き寄せや潜在意識についての知識も疎い。
結婚をしてから大分ポジティブ思考になったが、先祖のご加護などを毎日は考えていない理論的タイプだ。
ここに、違いがあるのだと感じた。
私は言霊に、ものすごく気をつけている。
自分が発した言葉、心で考えている言葉、思考していること、すべてが自分を作り出していると思っており、普段から自分が良い波動を出すことの大切さを身に沁みて感じているため、自分も相手も心が軽く温かくなるような言霊を意識しているのだ。
目に見えないものへの感謝も忘れない。
偶然の出来事にも、意味を見出している。
だからこそ、厄年や天中殺に起こると言われている災難が起こりづらいのだ。
きっと今後何かが起こっても、前向きに捉えて自分の糧にしていることだろう。
私たちは、幸せになるために生まれてきた。
この世にいる人たちは、みんな何かを学ぶため、何かを成し遂げるため、自分という存在を全うするために、今ここにいる。
神様が、私たちに意地悪をするのだろうか。
そのようなことは、ないだろう。
神社やお寺に祀られている狛犬や仏像などは、どれもお顔が微笑ましい。
信念があるお顔で、寛大さとおおらかさ、大きな愛を感じられるからだ。
私は、神様はどの人にも味方をしてくださると思っている。
厄年や天中殺は、神や宇宙が、より深く魂を磨くきっかけとして与えてくださる有難い期間。
それをバネに社会に貢献したり、自分を高めていけば、神様や宇宙は喜ぶのではないだろうか。
それでも、厄年や天中殺が気になる方は、神社などでお祓いを受けてもいい。
神社はその空間にいるだけで心が洗われるので、お祓いはより効果があることだろう。
お祓いを受けても、普段から頻繁に神社にあがるような人でも、私生活で不平不満や愚痴、相手への愛を忘れた行動をしていたら、どうだろうか。
それは、神や宇宙が味方するかどうかは分からないように、最後は自分の気持ちと心構えが大切になってくる。
自分が日々をどう過ごすか。
それが、厄年や天中殺での自分の対応力に大きく影響しているのではないだろうか。
もちろん、これは私の一意見だ。
これからもっと魂を磨いた先には、今とは違う意見になっていることもあるかもしれない。
しかし、どの過程も自分にとって大切で意味があり、価値のあるものと感じているので、変化変革を怖がらずに進んでいきたい。
あなたも、自分の人生を楽しく幸せに過ごしていい。
あなたは、もっともっと幸せになれるし、自分の願いを叶える力を持っている。
あなただけのお役目があり、あなただからこそ幸せにできる人がいる。
内に眠る素質に気付くことで、自分の魅力や才能はどんどん開花する。
自分の人生を意図して生きるか、惰性で生きるかは、あなたが選ぶことができるんだ🍀