「物事に固執し、囚われること」の意味を持つ執着。執着は固定観念にも似ていて、「〜でなければならない」という錯覚を起こすこともある。これは、あなたの行動範囲や思考を狭めるばかりか、大切な判断までも見誤る恐れがある。

この執着を手放すことで、あなたの思考は今よりもっと身軽になり、より自分らしく自分の望んだ現実を生きられるようになるのだ。

執着を手放す

自分で無意識に「〜でなければならない」と決めつけていることが、あなたの中にも1つや2つあるだろう。それは、本当に大事な決まり事なのか、絶対に優先しなくてはいけないものなのかを、折に触れて確認した方がいい。

例えば私の場合、カウンセリングをしている傍らブログを書いている。自分の経験から得た思考の解釈や物事のより良い捉え方をシェアしたく、書きたくて書いている。1日1本を目安にはしているのだが、実は決めていない。人によっては、ブログは毎日アップするものとお考えだろう。SNSなどでもよく聞く話だ。しかし、私はそこに執着していない。記事をアップしたりSNSをアップする目的が、「見てくださる方のお役に立つため」なので、毎日更新することが必ずしもいいとは限らないと考えているからなのだ。

 

1つ1つ丁寧に書き綴った文章に目を留めてくださった人に、何か良いきっかけを与えられたらと考えている。見てくださる方にとって、より良い時間となるような文章。そして、読んでくださった方に利益を与える文章を書くという想いで書いている。なので、文章が未完成の場合は無理にアップしないだけでなく、自分の気持ち的に今はアップしたくないという時は、躊躇なく更新を中断するのだ。無理をしたり迷いの気持ちがある中で文章を書き上げても、そこには目には見えない負の波動が宿ってしまう。すると、読んでくださった方のお役に立てなくなってしまうのだ。私が気持ちを整え、想いを込めて書き上げてアップすると、必ずと言っていいほど、私の言葉を必要としていた人の元に届いていくのだ。想いが、波動となって伝わっている証拠である。

執着を手放す

私には、「ブログ(SNS)は毎日更新するもの」という執着や固定観念がないのだ。もちろん、毎日続けることは素晴らしい行動だ。10年も続ければ、3,650記事も書けるということ。しかし、それは1記事1記事が読者のために書かれた場合であると考える。私は数だけでなく、読んでくださった方の人生がよりよく変わることを意識している。だから、1日1記事でなくても、丹精込めて書き上げた1記事が誰かの心に響き、その人の人生にとってより良いきっかけとなれることを優先しているのだ。

 

本当の目的を、忘れてはいけない。それを忘れて損得勘定や目先のことだけで行動していても、それはあなたの波動が純粋ではないから、どこかのタイミングで自分の本当の理想と現実がかけ離れていることに気が付くことだろう。

執着を手放す

他にも、執着はあらゆるところにある。

国家資格を持っているからといって、その職業にずっと就かなくてはいけない決まりはない。

親がエリートだからといって、自分も同じ道に進まないといけないことはない。

自分が名門校出身だからといって、子供にも強要する必要はない。

周りがやっていることを、興味がないのに自分もやることはない。

自宅にいる時間が長い人が、家事を多くやらなくてはいけない決まりなどない。

 

挙げれば、もっともっとあなたの抱える執着があることだろう。どれも、あなたが勝手にしがみついているだけなのだ。その思考を手放してみよう。

執着を手放した先には、あなたの想像以上にあなたが望む素敵な未来へと繋がっているのだから🍀

 

 

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