
黄泉の国という場所がある。
そこは、この世でやり残したことのある死者が行く場所だという。
今観ているドラマで、黄泉の国が舞台となり気づいた。
私は、何も未練がないと。
黄泉の国どころか天界も望まない。
天界へ行っても、果報が尽きたら残っている煩悩潜在印象を滅するべく、苦楽を経験するためにまた別の姿形でこの世に戻ってこなければならないから、私は今世で根源に回帰する。
そのために日々淡々と、自分が今世為すべきことを執着せずに行い、悔いなく今という瞬間を過ごしているため、この世に未練がないのだ。
この物質世界で身体に宿っていながら、ようやく自分の本性を自覚できたこと。
幾千回もの転生を経た今、万物の根底を支えているそこにあるとしか言いようのない根源的実在を感知し、その源と自分は一つであることを思い出せた。
無常の世で、ずっと変わらずにあり続ける光を内に見出せたことは、今世一番の大きな収穫である。
この世で出逢ってくれた、たくさんの愛すべき魂たち。
人も、動物も、植物も、空気も、あらゆるすべてがありがたい。
私利私欲に塗れ、エゴの奴隷となっていた時代もあったけれど、そのすべてがあったからこそ魂が学びの統合をして集大成を迎え、自分が何者なのかを悟り、今があるのだと思える感謝の念。
あらゆる出来事、ご縁、喜怒哀楽のすべてに学びがあり、無駄なことは一つもなく意味を為して繋がっていて、重なっていて、魂の目覚めに必要だったのだと心底思える。
煩悩による行為に突き動かされていた日々を俯瞰し、行為者主体を手放し、行為と結果を高次元の存在に捧げ、ゆだね、導かれるようになれたことで、楽に生きられるようになった。
私は、この人生に満足している。
日々感謝の気持ちを出し惜しみせずに伝えられ、自分が心からやりたいと思う魂の声を優先させ、今を全開で生きられている。
エゴからなるものではなく、愛と光を意識して生きようと思える幸せは、外側にあるこの世的なものをいくら得ても得られない感覚だ。
今、目の前にあるかけがえのない幸せも、すべては自分を生かしている高次元の存在のものであり、歓喜も喪失も、賞賛も批判も、成功も失敗もなく、そこにあるのは、ただあるがままの流れ。
お金も物も、時間も空間も、この身体も、言葉も、声すらも、高次元の存在のものだ。
これを真に理解したことで、どこにいても、何をしていても、どんな時でも、自分を創造し生かしている存在と共にいて、宇宙の崇高な流れがそこにあるだけなのだと感じられるようになり、あらゆる悩みから解放された。
姿形が違って見える万物の奥にある真理に触れ、万物を自分の一部として愛せるようになれた。
何より、自分自身を完全に愛し、赦し、受け入れられるようになれた。
それは、内なる神聖な存在を、あらゆるものの根底を支えている不可思議な存在を、尊重できるようになれたということ。
万物が、裕福で幸せで豊かであれますようにと思いながら、日々を心穏やかに過ごせるありがたさ。
この感覚さえも、かのものへの捧げ物だ。
自分がやるべきことは、神なる源に対してひらき、流れと共にいることだけ。
だから、いつが最期でも全く悔いがない。
あなたは如何だろう。
いつが最期でも悔いがない人生を送れているだろうか。
この世的なことは何であれ、仮初だ。
もっと深い、本当にあなたがしたいと思うことをした方がいい。
魂の声を聴くことは、他の動植物ではなく、人間として生まれた本当の意味を諭してくれるのだから🍀



