
時々、過去の一面を急に思い出す時がある。
年齢や時期は一定ではなくバラついており、楽しいことや幸せなことに限らず、辛かったことや苛立った時のことも蘇る。
良い思い出の時はニコッと口角が自然に上がり、感謝の念が湧いてくる。
しかし、怒りの記憶が呼び覚まされると、なかなかそうはいかない。
当時の痛みが、ほんの少しだけぶり返すからだ。
そのような時、私は手を止める。
深呼吸をして内なる周波数を整えつつ、対話をするのだ。
「分かるよ、辛かったよね」「あの言い方はないよね、ほんとムカついたよね」などとインナーキッドに心の中で語りかけ、寄り添う。
この世にはたくさんの美しい言葉や所作があるのに、そのようなことしか言えない、または愛のない行動しかできない相手の心の無さを察し、可哀想にと感じつつ、人を攻撃することでしか自分を保てないほど満たされない人生なのだなと俯瞰している。
すると、心のザワつきが落ち着いてくるのだ。
相手には相手の人生がある。それでいい。
相手を説得したり、相手を変えたり、こちらの価値を分からせる必要もない。
ただ、あるがままの相手を許容する。
ありのままの相手が、ありのままの人生を送れるよう幸せを願うだけ。
どの出会いにも意味がある。
どれほどムカつく人でも、その人との会話や出来事と引き合うことは今世の履修課題であるプララブダ・カルマだから、逃げずに受け止め、平静な愛と光の対応をするのみ。
それに、今、目の前にその人はいないのに、勝手に過去の嫌な記憶を思い出して気持ちが揺れ動いているにすぎないのだ。
この身体は日々取り入れる食べ物によって原子レベルで新しくなっているのに、心だけがいつまでも過去の痛みに囚われていること自体が、おかしい。
しょうもないことに時間と意識を取られていては勿体無いなと思っていると、心が軽くなってきて、最後には万物の至高を祈りつつ、この件を手放している。
高次元の存在に。
このようなことを行うようになってから、過去の痛みに引きずられることが少なくなってきた。
それでも人間だから何かを急に思い出して意識が囚われてしまうこともあるけれど、そのような自分も愛し、許し、受け入れている。
なぜなら、完璧な人などいないから。
完璧なのは宇宙の流れだけ。
万物の根底を支えている源のお陰で、あらゆる生命が存在し、生かされているという事実。
この崇高な存在からしたら、この世的なことなど全く取るに足らないかりそめ。
人間の時間軸では長く感じることも、辛いと感じることも、宇宙の視点ではほんの一瞬のことなのだ。
命あるもの、必ず終わりが来る。
有限な時間ならば、心も身体も、善性的な物事に向けていたいもの。
過去でも未来でもなく、今この瞬間を生きているのだから🍀




