今回は、死生観について書いていこうと思う。

これは人それぞれ考え方が異なるのは当然で、どれが正解不正解はない。

 

もし、あなたがいつも何かを恐れていたり、心配していたり、苛立っているのであれば(例えば、病気や災害や何か悪影響となる人やものを)、私がこれから書いていく言葉が、あなたにとって役立つことだろう。

 

 

 

多く人のは、死を普段は意識していない。

やりたいことや欲しいものといった私利私欲、目標、目的に向かって邁進していることだろう。

そして、80代、90代と人生を生きれば生きるほど大往生と言われ、10代、20代で亡くなると、まだ若いのにと言ったりする。

 

本当だろうか。

若くしてこの世を去った人は、やり残しがあるというのだろうか。勿体無いのだろうか。

 

そんなことはない。

人生の長さに関係なく、一人ひとりに宿る魂の成長にとって必要なことが、その人の人生で起こっているだけなのだ。

 

人生経験が長くなれば、この世的な学びは多くなることだろう。

けれど、90代まで生きていても、いつも悪口、陰口、不平不満、愚痴などを言いながら過ごしていたり、私利私欲だけを追い求めて生きていたら、生まれる前よりも煩悩を積んでこの世を去ることになる。

それは、側から見たら大往生でも、当の本人(魂)は今の身体から抜け出た後に、一度は天界に行けたとしても、また何かの身体に宿って、今回積んだ煩悩を解消すべくまた苦楽を経験するために、生きなければならなくなる。

 

逆に、生まれ持った病が原因で、10代で亡くなった人がいたとする。

側から見たら、こんなに若くして亡くなってお気の毒にとか、まだまだやりたいことがあっただろうになどどいう声が聞こえるが、本人が今の環境で自分を愛し、受け入れ、周りに感謝しながら今を精一杯生きていたなら、徳が積まれ、生まれ持った煩悩が消滅し、悟りの境地に至ることができる。

 

これらは、輪廻という考え方で、2000年以上前から語り継がれている古代インドの経典によるもの。

弔いの気持ちを持つのは当然のことだが、大事なのは、本人がどのような意志で日々を生きたかだけ。

実年齢と魂の年齢は、必ずしも一致しないのだ。

 

 

長生きしたから偉い偉くないといった表面的なことを超越した考えになれると、今がいかに尊く価値ある瞬間かが実感できるようになる。

つまり、いつまでも凹んだり、悩み苦しんだり、悲しみに暮れているよりも、前向きで積極的で肯定的に今を生きた方がいいなと思える。

何か思い悩むことがあっても、宇宙の何億光年という時間軸からしたら、人間の一生は全く取るに足らないものだから、悩むよりも楽しんだり幸せに生きた方がいいなと思えるのだ。

まさに、ケセラセラ。なるようになるという考えである。

 

 

誰一人として、いつ亡くなるか知る由もない。

あなたを創造した高次元の存在のみが、あなた以上にあなたの人生をご存知なのだ。

 

そう考えると、私利私欲ばかりを堪能せず、どうしたら自分を生かしている存在に奉仕できるかという視点になってきて、今までの悩みが嘘のように消えていく。

悩みに執着しなくなり、あらゆる行為と結果をも神に捧げられるようになる。

 

これは、神なる源に対して拓くということ。

命ある間に、自分のお役目を果たす意志を神に示すということだ。

(ここでの神は、天界の神ではない。それをも超越した存在のことを指す)

 

すると、あなたの想像もしなかった方法で、事が進み始める。

神の恩寵によって運ばれ始め、死が怖くなくなる。

 

今自分がやるべきことを淡々と行っていて業が果たされれば、どこかのタイミングでこの身体から魂が抜け出るだけのこと。

 

抜け出た時に、また別の身体に宿って苦楽を経験したくないのであれば、今を精一杯生きて、神に奉仕するしかない。

それが、煩悩を滅する唯一の道であり、あなたが本当のあなたとして生き、真の物質的豊かさと精神的豊かさを得られる道なのだ。

 

 

生きとし生けるものは、皆、何かの学びがあってここに生きている。

心身を浄化させ、魂を進化向上し、今までの煩悩や宿業を消滅させるための機会を与えられているのだ。

そして、あなたという存在が、自然界の発展と繁栄、宇宙全体の発展と繁栄に意味があるからこそ、あなたは生かされている。あなたに、息をさせている。

 

あとは、あなたがこれからどう生きるかだけ。

 

 

死が怖くなくなると、より今を大切に生きられる。

毎瞬が、ただあるがままなのだと心から思え、どのような現実も有り難く受け入れられるようになる。

 

今を愛し受け入れるからこそ、神なる源に対して拓くことになる。

その結果は、あなた(エゴ)の知ったことではない。

 

真我であるあなたの本心、魂は、あなたが今世なすべきことを知っている。

あなたが欲している物事も知っている。

 

だから、何を行うかよりも、どのような気持ちや想いで行うかが大切なのだ。

 

 

あなたにとって本当に必要なことは、すべて満たされていく。

執着せずに、今にゆだねるからこそ、あなたの魂にとって意味のある場所やあなたが心から幸せを感じられる場所へと導かれ、あなただけの業を成せるようになる。

業が果たされた時、死を迎える。それだけのこと。

 

エゴを超越した流れが、この世にはある。

神の崇高な計画によって、いつでもあなたは運ばれている。

 

どの瞬間にも、価値ある時間が流れているのだから🍀

 

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