一人ひとりの魅力や才能、真の価値は、この世的な指針では計りきれない。

学歴や経歴、年収、肩書、持ち物といったものが自分自身だと思い込み執着しているかもしれないが、それはその人のようで真にその人でない。

纏っているだけで、その人の本性ではないのだ。

 

人によっては、魂の声を表出するための表現方法や様式が、まだその魂に追いついていないだけのこともある。

 

魂は元来、画一的なものには収まりきらないほどの魅力に溢れている。

それを隠していたり、我慢しているから見えなくなっているだけ。

 

多くの人は魂の声である本性を抑え込み、世間体や見栄、固定観念という社会を社会たらしめる社会のダルマを選んでいく。

だから、社会的には成功しても心の葛藤を抱える人が多いのだ。

 

それは、魂の声と乖離しているから。

自分を自分たらしめる自身のダルマを行わず、社会のダルマに囚われて本性を出せていないから悩みが生じているにすぎない。

 

この世的な指針はあくまで社会のダルマにすぎず、それに沿って生きることもある程度は必要であっても、本人固有の魂である自分という存在を自分たらしめている、自身のダルマの炎を消してはならない。

自身のダルマである本当にやるべきこと、魂が望んでいることは、煩悩によって生じた行為と結果に合致するわけではないからだ。

 

世間体、見栄、固定観念による行為と結果は、束の間の安心感や優越感、満足感を与えてくれるが、常に不安と葛藤、怒り、はたまた空虚感や虚無感という苦をいつまでも生み出し続けてしまう。

 

 

一人ひとりの魂が、もっと本性を生きればいい。

 

この世的な指針を超越した崇高な感覚を、誰もが本来持っている。

忘れているだけ。

 

それぞれの魂が真に自身のダルマを行うことが、他の動物ではなく、人間として生まれたお役目でもあるのだから。

 

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