
悩みは誰にでもあるものだ。
表面的には見えていなくても、誰しも日々何かしらをこなしながら、その時々であらゆる感情感覚を味わっている。
いいことがあれば喜ぶのは普通。
肝心なのは、どのような時でも最後は善性的な言動ができるかどうか。
喜怒哀楽を感じても、自分で自分の機嫌をとり、自分も相手も尊重できるかどうか。
あなたが好きなことや得意なことは、神があなたに与えた崇高なものであり、今世体感する痛みや悲しみ、怒り、苦しみも同様に価値がある。
すべては、あなたの魂が何かを学び、気付き、その過程を世の中に活かすために起こった必然。
そこに意味があるからこそ、あなたの人生が展開しているのだ。
それなのに、他者との優劣や比較にばかり意識が向いてしまっている人もいる。
例えば、せっかく名門校を卒業しても、学歴を自慢して誰かを攻撃してしまったり、得た知識や技術を私利私欲のためにしか使えず宝の持ち腐れとなっていることもある。
知っていることよりも、知らないことの方がずっと多い。
知っていることを知らない人に、丁寧に何度でも教えてあげられる人の方が魅力的だ。
他にも、子育てで苦労したなら(あるいはしているなら)、その苦労を愛に変えて、より大いなる視点で価値観の多様性を許容したいもの。
独身の人や子育てをしていない人に対して、「この大変さを分かっていない」と言うだけでは何も生まれない。
どの人生が正解不正解というものはないのだ。
どの選択が偉くて、どの道が常識というものもない。
ありのままの相手を許容し、ありのままの自分を愛し受け入れればいい。
それに、見えている相手の姿は、ほんの一面に過ぎないのだから。
許せないことや辛いこと、悲しいことを完全に忘れたり、怒りや嫉妬、喪失感や空虚感を隠し偽る必要はないけれど、いつまでもその波動領域に囚われる必要はない。
あなたは、如何だろう。
日々善性的な言動ができているだろうか。
自分の幸せはもちろん、万物の幸せを願い、あなたの魅力を全開で尽くせているだろうか。
この世で唯一無二のあなたをあなたらしく表現し、あなただからこそ生み出せる愛で、世の中に奉仕することに意味がある。
出し惜しみせず、損得勘定なく、純粋に生きていれば、何をすべきかは自然に見えてくる。
あなたという唯一無二の魅力を、人様のために役立ててごらん。
姿形は違うけれど、みんな魂の成長のために今を生きている同志。
それぞれの業を果たすべく、ここに存在している。
だから、お互いがもっと思い遣りを持ち、相手の背景を尊重し優しくなれたなら、世界はもっと豊かで幸せになる。
痛みを通して得た感覚を超える優しや愛。
それを世の至高善のために役立てるお役目が、あなたにはある。
あなたが体験してきたことを、他人に痛みのまま伝えるのではなく、痛みや悲しみを乗り越えた大きな大きな愛を伝えることが、誰かのためになるんだよ。
他の人と比べて自分はどうか、などと考えなくていい。
あなたにはあなたの道、他者には他者の道があり、それぞれに見えている景色がある。
そして、どの人生にも価値ある時間が流れているのだから🍀



