あなたを、あなたとして生かしている存在がいる。
あなたに息を吸わせ、食べ物の消化吸収を行い、あなたを生かしている者。
それは、人間や動植物や鉱物やエーテル、地球や宇宙をも創造した、かのもの。
そこにあるとしか言いようがない一点が、揺らぎを起こし、ビックバンを起こし、あらゆる生命を生み出したことで今がある。
かのものは、聖典ではブラフマンと呼ばれており、主宰神クリシュナとも呼ばれている。
私たちの言動のすべてはブラフマンに通じていて、ブラフマンそのものであり、ブラフマンの顕現形態といえる。
そして、あなたが行う行為は、クリシュナへの捧げ物であり、得られる結果もクリシュナのものなのだ。
そう考えると、あらゆる行為が神聖に見えてくる。
ご飯を食べる時、普通は何も考えずに味わうと思うが、五感を楽しむためにクリシュナがこの身体を通してアクションを起こしているのだなと思えたり、心身に付着した長年の潜在印象を浄化すべく適した環境に導かれていることも分かってくる。
行為者主体も、行動の結果も、今あるものも、今まで得たものも、これから得るであろうものも、すべてはクリシュナのもの。
エゴによるものではなく、神のものなのだ。
だからこそ、それに資する言動であるかどうかを見極めることが大切になってくる。
貪欲なエゴの鎖が解き放たれ、執着が緩んでいくほどに、あなたを創造した「かのもの」と繋がれる。
繋がれるというよりは、その繋ぎ目があったことに気づいていく、思い出していくという方があっている。
あなたはいつでもどこにいても、宇宙の崇高な流れに導かれていて、あなたの魂が進化向上する場が与えられている。
自分で選んでいるように見えて、実は神の手中なのだ。
エゴが一時的に神の計画とは違うものを力づくで選んでも、最後には強制的に神の流れへと回帰していく。
そういうものなのだ。
地球が自転しているように、目には見えない神聖な流れが、いつでもどこにでもある。
誰一人として不死身の人がいなく、いつかは死にゆくようになっているのは、神の崇高な計画があるからこそ。
その流れに身を任せ、奉仕するほどに、万物を司る真の豊かさを感じられるようになる。
エゴではなく、自分を生かしている存在に対して、捧げ、ゆだね、導かれるからこそ、得られるものがあるのだから🍀