喜怒哀楽を感じるのは、人間としてごく普通の感覚である。

しかし、怒りというのは扱いを気をつけないと、誰も幸せにならない厄介なものである。

 

怒りが生じる根本原因は、執着だ。

貪愛、欲望、自我。これらが傷つけられたり失ったりすると、怒りが生じる。

 

怒りという強いエネルギーは、怒りを感じた人の心の中に、怒りの潜在印象を作り出す。

潜在印象は自分の意図とは関係なく、同じ行為と結果を何度も引き寄せ続ける。

 

怒りを誰かにぶつけて発散した時はスッキリしたり、優越感に浸ったり、誰かと悪口を言い合って連帯感を感じたとしても、気付かぬ間に怒りによる膨大な潜在印象を積んでゆく。

言葉に限らず態度でも、表情でも、生み出した潜在印象は必ずそのエネルギーを消滅させるまで、それが今世なのか来世なのかは分からないが、何度も何度もその人の人生に姿形を変えて現れてくるようになっているのだ。

 

怒りというのは、怒りをぶつけられた方も気持ちがいいものではない。

言い方や言う場所、抑揚によっても、感じる内容や感じ方はまるで変わる。

誰しもまた会いたいなと思うのは、怒り狂っていた人よりも優しく寛大な人だろう。

 

このように、怒りからは誰も幸せにならない。

 

ただし、怒りという感情を感じてはいけないのではなく、それを伝えてはいけないのでもない。

相手への伝え方、そして、怒りにいつまでも執着しないことが大事なのだ。

 

怒りの出来事が終わっても、いつまでも怒りから離れられない人が多いことだろう。

けれど、怒りに囚われれば囚われるほど、莫大な量の煩悩潜在印象が積まれ、そのエネルギーをいつか摘み取らなくてはならないのだ。

 

ものの見方を変えれば、本当は、それほど怒る場面でもなかったかもしれない。

 

苛立つところを、実は冷静に判断できたかもしれない。

 

自分が完璧でないように相手も完璧ではないのだから、もっと寛大になれたかもしれないのだ。

 

 

怒りを抑え込むのではなく、感じて手放す。

我慢して隠すのではなく、怒りの奥にある本音に向き合う。

 

すると怒りの出来事が、とても有難い魂の修行の場に変わる。

 

意味のないことは起こらない。

怒りは自分と向き合うチャンスでもある。

 

「何度言えばわかるんだ」

 

それは今の伝え方では相手に真意が伝わっておらず、理解されていないから何度も聞かれている。

怒りが、相手に質問するという純粋な気持ちを遠慮させ、更なる失敗を生んでいるだけ。

 

「あの人って、なんでこんなにノロマなのかしら」

 

そう感じるのは、自分にも同じような部分があるから。

鏡のように相手を通して自分の姿が見え、怒りを感じているだけ。

もしかしたら昔(それは前世のこともある)、あなたが相手の立場だった時、同じことを誰かに言われた怒りが、今浮上しているのかもしれない。

 

 

根が悪い人はいない。

お互いを思い遣れたら、あらゆる場面で調和が生まれることだろう。

 

怒りを感じたら、素直に感じて俯瞰し、手放してみよう。

 

今までとは全く違う心地よさが広がり、あなたに真の福を招くことだろう🍀

 

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