どのようなものであれ、万物は宇宙の構成要素。

意味があり、価値があり、崇高な宇宙の流れの一部として存在している。

 

そう考えると、相手の言動にも寛容になれる。

 

例えば、自分が道幅の狭い歩道を歩いている時、前から猛スピードで自転車が来たとする。

車道には自転車ナビマークもあるのに、歩道を走ってくる場面。

 

すれ違うにはギリギリだなと思うのであれば、止まって先に行かせてあげればいいだけのこと。

 

これは、遠慮や卑下とは違う。

お互いにとって心地よい選択をしているのだ。

 

車道を走れない何か理由があるのかもしれない。

急いでいる訳があるのかもしれない。

 

万物の中に自らを観ると、ものの見方が変わる。

自分を愛するように、相手を大切に想えるようになる。

 

それに、自分も相手の立場の時(今世ではなく前世で)、似たようなことを誰かにしたのかもしれないのだ。

今、因果として目の前にそれが表出していることもあるから、受け入れ、宇宙の流れと共にその時々で愛のある対応をすればいい。

 

もちろん、喜怒哀楽を感じるのは普通である。

違和感を感じることがあるのであれば、対処は必要だ。

 

けれど、「こうでなければならない」「こうであるべきだ」と決めつけすぎないで柔軟な心でいると、思わぬ発見もあるもの。

 

先の歩道を走る自転車に対し、歩行者の自分が止まってあげた時、すれ違う際に会釈をされるかもしれない。

「ありがとうございます」と感謝をされることもある。

 

つまり、悪気があってそうしている人ばかりではないということ。

 

 

何事もお互いさま。

 

万物は、究極的視点ではひとつなのだから、お互いが思い遣りを持てたら、もっと世界は平和で豊かで、幸せに満ち溢れることだろう🍀

 

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