一人ひとり、今世生まれてきた目的がある。

他の動物ではなく、人間として生まれてきた目的。

そして、他ではない “この人生” として生まれてきた目的だ。

 

その目的にいつ気づくかは、その魂次第。

 

10代で己の使命に気づく人もいる。

例えば、ジャンヌダルクは10代で軍を率いた。

モーツァルトは10代でピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲をはじめとする多くのコンチェルトを書き上げた。

あらゆるスポーツ選手も前世からの続きを今世行いに来たからこそ、実年齢は若くとも天性を臆せず全開で発揮できるのだ。

 

晩年で己の目的に気づく人もいれば、30代で気づく人もいる。

死の間際で気づく人もいれば、今世はこの世を楽しむために生まれ、今世積んだ煩悩潜在印象と共に来世また別の姿形として生まれてから真の目的が果たされることもある。

 

どの人生が偉いわけでも凄いわけでもなく、正解不正解もない。

それぞれの魂によって、今世やるべきことが違うだけ。

 

魂の源である究極的視点での根源は皆一緒だけれど、それぞれの魂に積まれた潜在印象によって、やらなくてはならない自身のダルマ(その人をその人たらしめるやるべき事)が異なるだけなのだ。

 

 

なぜ、いずれ命が尽き死にゆく運命なのに生きているのかといったことや、なぜ人間として生まれたのかという視点を持てるのも人間ならではだろう。

食べたい、飲みたい、楽しみたい、子孫を残したい、他者よりも優位に立ちたいなどといった動性的な大脳辺縁系だけでなく、人間を人間たらしめる思考をもたらす大脳新皮質を持って生まれたことは、人間として今世を生きる重大なお役目である。

 

 

私はある時、偶然の引き合わせで古代インドの経典に出逢った。

従来的な意味での宗教心は全くなく、家に神棚を飾ったこともなければ、お祓いをしてもらったこともない。

決まった日にどこかへ赴き、儀式や祭典に参加するようなマメさはない。

滝に打たれたり、川に入ったり、何かを唱えたり、この世での特定の誰かを崇めることもない。

家族を含め、自分の周りには宗教家の人もいなかった。

 

けれど、世界に数多ある本の中から、古代インドの経典であるバガヴァッド・ギーターや、パタンジャリのヨーガ・スートラに出逢い、読んだ時には涙が溢れた。

ずっと探していた悩みの根幹を解消する答えが、そこにあったからだ。

 

魂が、2000年以上も前の時代を生きた賢者たちの言葉に共鳴しているのを、全身で感じられた。

 

今まで経典を読んだこともないのにスラスラと読め、その意味に深く共鳴できたのは、前世でやってきたからとしか言いようがない。

それも、今世あらゆる人生の苦楽を経験した上で、この叡智を学ぶ準備が整ったからこそ引き寄せられてきたのだろう。

 

今までの全ての出来事や出会いが、意味を為して繋がっていて、この経典に辿り着くために必要不可欠だったのだと実感したのだ。

 

このように、いつどこで本当の自分が覚醒するかは分からない。

自分(エゴ)は分からないけれど、真の自分(魂)は知っている。

 

魂の本源は、エゴ以上にその者の人生をご存知だ。

エゴによるあらゆる願望や欲望を超越したその者が今世成すべき目的地へと、宇宙の流れと調和させながら導いていく。

 

その流れを感知するには、今世、目には見えない神聖な流れに身を任せる他ない。

 

エゴからなるものではなく、自分という存在を今に創造し生かしている高次元の存在の欲することを欲する。

 

すると、己の本性を知る。

広く、深く、万物の根底を支えている根源的実在を感知し、今世、自分が成すべき目的が明晰に見えてくるようになる。

 

あなたにも今世のお役目があるように、真智を探究することが今世の私の真の目的なのだ。

 

 

それぞれの魂が宿る人生に、意味があり価値がある。

誰が偉いとか、誰が凄いもない。

己の本性を悟り、全開でひらき、宇宙の流れに奉仕するのみ。

 

崇高な宇宙の流れに順応した時、エゴでは想像もできなかった場所へと導かれていくようになっているのだから🍀

 

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