人生の行為者主体を、エゴからなるものではなく、神の導きに任せゆだねるということをしていると、本当に不思議な引き合わせが起こり始める。

エゴの制約の元、「あれがしたい!」「これがしたい!」「こうでなければならない!!」「もっともっと!!!」という頑固な条件や願望よりも、自分の人生にとって本当に大切で意味があり、エゴでは想像もできなかったより良い方法やルートが、自然に示され導かれていくからだ。

 

そして、行為者主体だけでなく結果をもゆだねていると、どのようなことが起ころうとも楽に容易に今を愛し受け入れられるようになっていく。

歓喜する場面では有頂天にならず冷静になれるし、喪失する場面でも淡々と今やるべきことができるようになる。

 

エゴで物事を見ていると、苦楽の変動が激しくなることだろう。

いつも心が落ち着かず、何かを得たり達成してもなお満足できずに、いつも何かを追い求め続ける。

自分にとって良いと思うものに執着し、嫌だと思うものは何がなんでも避けようとする。

 

エゴを超越した視点から見れば、どの現実も、どの時空も、どの出来事も、価値ある瞬間なのだ。

エゴが良い悪いを勝手に感じ分けているだけ。

 

何より、この世の全ては、あなたをも創造した存在のものなのだから、あなたを生かしている存在が生み出す崇高な流れに身を任せた方がうまくいく。

 

 

あなたに、息を吸わせているのは誰だろう。

あなたが意識しなくても消化吸収排泄を行い、あなたという存在を今に創造した者は誰なのだろう。

 

それが姿形ある存在かどうかはどうでも良く、あなたは今世意味があり、お役目があるからここにいる。

だから今、生かされている。

 

その神聖な計画と流れはエゴの視点では見えないから、お恵みに与るにはゆだねる他ないのだ。

 

これは、受け身な生き方でも惰性な生き方でもなく、かなり積極的な生き方だ。

エゴではなく、真の自分として生き始めるということだから。

 

このような生き方をしていると、起こる出来事や結果が、エゴでは想像もつかなかった展開をしていく。

まさに、神聖な流れに身を任せ、目には見えない存在の手足となり、その者へ奉仕している感覚だ。

 

「どのように神や宇宙の力を使い、自分の願いを叶えようか」というのは、エゴの視点。

「どのように神や宇宙に奉仕し、自分という存在を世の至高善のために遣ってもらうか」というのは、本当の自分である真我の視点。

 

多くの人は、前者の考えで一生を終えるだろう。

どのような生き方でも良いのが、後者の方が宇宙全体の流れに身を任せることそのものだから、なぜか自分にとってうまく事が進んでいくようになる。

わざわざ誰かに何かを証明しなくても、自分の人生にとって必要なことは、何かしらの方法で確かに満たされていくのを実感できるようになるのだ。

 

 

あなたの人生にとって必要なことも、然るべきタイミングと方法で満たされるようになっている。

あなたが神聖な流れに、身を任せさえすれば🍀

 

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