
今日から連載という形で、私が日々実体験したことを綴っていきたいと思う。
何が起こり、どう感じ、どう対応したのか。
私もこの身体から抜け出るまで成長途上の魂なので、日々研鑽中である。
そこでタイトルは、『迷いながらも奉仕に向かう一人の魂の記録』とする。
それでは、内的自白をしていきたい。
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今日はネットスーパーにて、自宅に食材の配達をしてもらった。
重いものを買う時や、荷物が多くなる時に利用している便利なサービスだ。
けれど、苛立つことが起こった。
指定した時間帯に届けてくれたものの、チャイムの音が鳴りモニターを見にいくと、最近この時間帯に配達してくれるおじさんだった。
彼は以前、チャイムを押して私が返事をしたら、「○○スーパーです」と言ったものの、荷下ろしをしながら、つまりチャイムを押しておいて、自分は遠く離れた場所で作業をしながらこちらも見ずに返事をしたことがあり、私は彼に対してあまり良い気を感じないなと思っていた。
その人が来たと分かりチャイムに応じると、なんと今日は無視。
作業しているのを見れば誰が来たのか分かるだろうとでもいうように、何も言わない。
もちろん、ネットスーパーの配達だとはモニター越しに分かるが、どうも違和感と共に、怒りが湧いてきたのだ。
「なんて失礼なの!!!」
苛立ちながらもドアを開ける時までには呼吸を整え、荷物を無事に受け取った。
受け取った食材を整理しながら、思った。
受け渡しは、別に無言ではないのだ。
私に物を渡す時には「冷蔵です」「冷凍です」などと言って渡してくれる。
最後には目も合わせて、お礼も。
他の配達員や他のネットスーパーでは当たり前、というより、それをはるかに凌駕した接客をしてくれるが、今日の一連の流れを通して、私は自分自身の執着を俯瞰するチャンスを得たのだ。
そう、怒りは執着の裏返し。
「こうであるべきだ」という想いが強ければ強いほど、思慮が外れた時に怒りになる。
つまり、普通の配達員ならばこうするだろうとか、こうした方が誠実だろうという考えを、今日来た配達員に私は押し付けようとしているわけだ。
もちろん、心地よい対応をしてくれる方が嬉しいが、それぞれにそれぞれの考え方がある。
今日の配達員は、もしかしたら荷物を下ろして準備万端にしてからではなく、まずはチャイムを押して、荷物を下ろしながらの方が効率が良いと思ったのかもしれない。
相手がチャイムを押し私がインターフォンに出たのに、相手はこちらを見るどころか名乗りもしなかったと私は思ったけれど、実は相手の声が聞こえなかっただけかもしれないのだ。
こうやって冷静に色々なことを考えていると、最後には「届けてくれて有難いな」と感謝の気持ちが湧いて落ち着いた。
もし今日の配達員が本気で悪気があったら、荷物を渡すときも無言でお礼も言わず、私と目も合わせないことだろう。
人は誰でも、尊重され、大切にされたい生き物なのかもしれない。
人間だから、完璧な人などいないのだ。完璧なら、生まれてくる必要がない。
私は今日の経験を活かして、愛を持って丁寧に生きようと改めて思った。
自分の価値観を相手に許容する必要もなければ、相手を変える必要もない。
ただ、ありのままの他者を許容し、自分にとっての大事な筋を通すだけだ。
今日の配達員の人にも、至高のことが起こりますように。
メリークリスマス🎄



