人生の苦の原因は、執着だ。
良いこと、嬉しいこと、幸せなことならば喜んで受け入れるだろうが、嫌なこと、辛いこと、悲しいことは、受け入れたくないもの。
けれど、あなたを「あなた」として存在させている高次元の者から見たら、どちらも同じ。
良い悪いもなく、そこにあるだけなのだ。
あらゆる出来事に対して、「受けたもう」という姿勢でいると、苦が軽くなる。
どれほど歓喜、賞賛、勝利、獲得することがあったとしても、淡々と「受けたもう」と謙虚に受け取り、そこに自惚れることがなくなる。
どれほど苦心、辟易、悲観、激怒することがあったとしても、淡々と「受けたもう」と現実を受け入れ客観視できるようになる。
何も、感情を感じてはいけないのではない。
その現象に執着するから苦しくなるのだ。
例え喜ばしいことを得たとしても、それは束の間のことであり、かりそめであり、一時的なもの。
だから、受け入れないと、何かを得てもなお心が落ち着かなかったり、得たものの喪失を恐れたり、更なる獲得にこだわり、常に緊張状態が続くことで苦しむ。
逆に、どれほど大変でも、辛くても、悲しいことがあっても、それは今だけのこと。一時的なものなのだ。受け入れることで、そこで辛さは止まる。
感情を感じきった後に、「受けたもう」と現実を受け入れ、今やるべきことを淡々と行っていると、自然に心の浄化と魂の成長が進んでいく。
良いことも悪いことも、楽しいことも辛いことも受け入れる覚悟があると、自分を生かしている高次元の存在に対して、「私はあなたのすべてを受け入れます」と意思表示していることになるのだ。
あなたを生かしている高次元の存在は、いわば海のようなもの。
あなたはその海の上に現れた波であり、やがては海の一部へと帰っていく。
つまり、海の恵の深さと、常に一体なのだ。
生まれた時から。どこにいても、何をしていても、これからも。
恵の根源に対して心を拓き、「私は受け入れます」という姿勢で、どのような出来事も前向きに捉え、日々の一瞬一瞬に楽しみを見つけ感謝していれば、より上の何かが次にやってくることができる。
それは、今に対して拓き、今を受け入れるからこそ、次を受け取れる。
万物は、海の一部である波のように、それぞれの寿命に応じて(履修すべき今世の課題に応じて)一時的に存在しているだけなのだから、どんな利益も地位名誉も幸不幸も、実は本源である海のもの。
「受けたもう」という姿勢は、楽に容易にあらゆる愛や豊かさを受け取りつつ、そこに執着しないという心構えであり、一見辛いことや悲しいこと、苛立つことがあっても、その現実を受け入れることで、海にその重荷を捧げることができる。
身を捧げてゆだねるほどに、執着が弱まるので心が軽くなる。すると、より受け取れるようになるのだ。
あらゆる方法で、あなたにとって必要なものを。
あなたは、魂の次元が高い人。
目の前の行為を、ただ惰性で行なっていていたり、望ましいことが実現すれば自分はすごいと熱狂し、思い通りにならなければ落胆しているだけの普通の人ではない。
魂の次元が高いからこそ、成熟した魂だからこそやるべきことがある。
どんなことも「受けたもう」と受け入れ、執着せずに中庸で見る。
すると、海の恵の深さを通して、あなたの人生にとって必要なことは時間の差はあれど、あらゆる面で満たされていくようになっているのだから🍀