言語化することが良しとされている現代。

SNSでも、思ったことをなんでもかんでも投稿している人もいることだろう。

 

SNSという公の場所で、考えを簡潔にまとめて発信することは素晴らしい。

それが魂の声なのかエゴの声なのかは別として、言語化することで自分の感情感覚や思考の対象を俯瞰して見ることもできる。

 

けれど、言語化して公表すること自体が偉いわけではなく、それをしていない人が何も考えていないかというと、そうではないのだ。

 

手帳に自分の想いを日々書き綴る人もいれば、静かな時間を設け内なる自分と対話する人もいる。

 

だから、目に見えるものだけがすべてではないということ。

 

私は以前、SNS上でとにかく言語化して発信し、自分を証明しなければいけないと思っていた時期があった。

日々忙しなく流れゆくかりそめの環境下、気づけば「こうすれば反応が良くなるかな」「こう書けば届くかな」「こう表現すれば伝わるかな」「こんなことを書いたらどう思われるかな」などと感じるようになり、魂の声よりもエゴの声が優位になるほど手が止まった。

 

投稿しないからといって、考えがないわけでも言語化できていないわけでもなかった。

ただ、行動を起こす目的がエゴである限り違和感が付き纏い、対立観念の環境下では魂の声が窮屈になってしまっていたのだ。

 

「自分は、数よりも深度を求めている」と心の奥底で感じ、ブログやKindleのように匿名性の高い場所にて魂の声をゆっくり世に表出させることを続けてきた。

それは、自分の性に合っている宇宙からの導きそのものだからこそ。

 

あなたの中にも、あなただけの崇高な感覚がある。

 

臆せず尊重してあげよう。

それが、あなたの真の幸せに繋がっているのだ。

 

 

真の幸せは言語領域を超えていて、言語化されることだけがすべてではない。

 

空を見上げてみれば、よく分かる。

 

ただ、雲の流れを見つめ、宇宙の流れと共鳴する。

青空を愛で、空気を感じる時、そこに言葉はいらない。

 

言語領域を超えた幸せや心地よさ、安らぎがあるだけ。

 

「綺麗だな」「美しいな」と言葉にすることもできるが、そうする必要もない豊かさがそこにある。

 

自分をうまく見せよう、自分の価値を証明しよう、相手を納得させようという思いで言葉を駆使するほど、あらゆることが複雑になる。

本当は、もっとシンプルだ。

 

 

真の幸せは、言語領域を超えている。

大切な人を想う気持ちも、目には見えないけれどあるのと同じ。

 

 

忙しない外の周波数ではなく、内なる周波数である自分の感覚を大切に。

 

言葉の背後にある万物への想いを慮るとき、真の幸せや真の絆が自然に生まれるものなのだから🍀

 

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