石も、土も、宝石もみな同じ。
この言葉は、古代インドの経典に記載されている崇高なものだ。
この世的な視点で見ると違和感を覚える言葉かもしれないが、より深い視点では真理。
物事を表面で感じ分けているのは人間のエゴであり、石も土も宝石も、それぞれ固有のエネルギーを放ち、万物を成した一点によって創造された価値あるものなのだ。
エゴというのは、悪者なわけではない。
喉が渇いて目の前に水が入ったコップがあれば、それを手に取り口へ運びあなたに水分をもたらしてくれるし、あなたという個性を今世実感できる素敵なものでもある。
けれど、それにとらわれすぎると、物事の背後にあるものが見えにくくなるのだ。
エゴの奴隷となることで本当の自分を知ることもなく、自身が今世成すべきことや、人間として成すべきことを行えずに一生を終える人も多い。
石も、土も、宝石もみな同じ。
このようなことを思考できるのは、大脳新皮質を持つ人間だからこそ。
もし、大脳辺縁系を持つ他の動物のように、食べたり飲んだり、遊んだり寝たり、自分の居場所を確保したり、子孫を残したりといった欲や感覚器官を満たすことしか行わないのならば、人間である必要がないのだ。
人生を楽しむことは何ら問題ではなく、むしろ自分が心から幸せを感じ、皆と幸せを分かち合うのは最高のひとときだろう。
前向きで積極的で肯定的な思考、言葉、行動をすることは、あなたにとっても、あなたの周りにとっても、エネルギーレベルの観点で宇宙全体にとって良い。
自然は、自然界の発展と繁栄のために人間を生かしている。
人間という生命だからこそできることを成してほしいから、息を吹き込んでいる。
人間はどこかのタイミングで、一人ひとりの魂が真理を悟らなければならない時期がくる。
それを今世行うのか、来世行うのか、もっと先になるのかはその魂次第。
あなたは今世、「石も、土も、宝石もみな同じ」という真理を悟り、探究し、この世で生かす魂だろうか。
初めは意味が分からなくても徐々に分かってくる魂かもしれないし、このようなことを思考しても意味がないと思う魂かもしれない。
どれが正解不正解もない。
いつ悟るかだけのことだから。
2000年以上も前からある経典が、今なお時を超え、国を超えて残り語り継がれているのは、そこに真理があるから。
なぜ人間として生まれたのか、いずれ命尽きる運命にあるのになぜ生きているのかなど、生きるという根本的な答えがそこにあるからこそ、その時々の魂がそれぞれのペースで探究してきたに違いない。
石も、土も、宝石もみな同じ。
姿形は違って見えるけれど、エゴを超越した視点では一緒。
大きな大きな愛と豊かさの大海原から派生した波が、一時的に今あるだけ。
この言葉を探求するほどに、あなたの今の悩みは着実に軽減する。
そして、神が創造したほんとうのあなたがどんどん花開き、あなたが今世受け取ることになっている幸が、エゴによる制限制約を超えて、容易に舞い込んでくるようになるのだから🍀