
飲み会や懇親会、お茶会という名のグループの集まり。
それらは一見、みんなで楽しんでいるかのように見える。
何かの目的地へ向けて一緒に語り合えば、高揚感が増し充実した時間を過ごせるもしれない。
悪口陰口、不平不満を言い合ったり、悩みを打ち明けあうことでスッキリする人もいるかもしれない。
その渦中にいると、束の間の一体感や安心感、連帯感を感じることもあるだろう。
けれど、その集まりを心から望んでいる人が何人いるのか。
何人が、心からそこでの会話に同意しているのだろうか。
表面的には笑いつつも実は笑っていなかたり、楽しくもないのに楽しいフリをしていることもある。
世間体や見栄、社会的なダルマに縛られて、みんなが本音を出しづらくなっているように感じる。
本当は、何時間もダラダラと時間を費やさないで、短時間で集まりの目的を果たして1時間でも早く解散し、家族といたいと思っているかもしれない。
本当は、自分の好きなことへの時間を優先させたいと思っているかもしれない。
士気を高めているかのように取り繕った仕事の飲み会も、本当は回数を減らして、社員の手取りを月1万円上げてあげた方が嬉しいのではないだろうか。
社会のダルマという、「こうであるべきだ」「こうしなければならない」「こういうものだから」「こういうしきたりだから」「普通はこうだから」という型に自分を合わせていると、周りも同じなので安心は得られるだろうが、その分あなたの魂の声は幽閉され、何が本当に必要で大切なのかが見えづらくなっていく。
その集まりは、本当に必要?
このタイトルに目が留まるということは、あなたの魂が今までとは異なる光明の道を探している証。
魂の声を、開放してあげよう。
あなたにとっての真の豊かさは、外側ではなく内側から示されているものなのだから🍀


