何かの行為、例えば『喉が渇いて水を飲む』という動作をする時、外見上は水分を摂取するという単純な行動に見えても、その行為の背景は、実は人によって異なっている。

 

・水を飲みたいから飲んだ。

・エゴによる生命維持判断のために水分摂取をした。

・この身体を生かしている根本的実在である、ブラフマンへの捧げ物として水分を摂取した。

 

普通は、喉が乾けば自然と水分を取る。何も考えないだろう。

実は、そのありきたりなものですら、神聖だということ。

 

あなたは日々、神聖な活動をしているのだ。

 

だが、それに気づいている人は少ない。

 

 

ふとした時にでも、「なぜ自分は今、水分を摂取したのか」と、自分を自分たらしめていることに意識を向けてみると、様々なことが見えてくる。

そもそも、そのようなことを思考し俯瞰できることは、人間だけができることなのだ。

動性的な思考を放つ大脳辺縁系だけでなく、人間を人間たらしめている大脳新皮質もあるからこそ、気づけること。

 

気づき、驚異するほどに、感激と感謝の念が自然と湧いてくる。

その安らぐ感覚は、物質世界にある特定の何かや特定の誰か、特定の場所では満たされない至福のもの。

 

いつでも誰でもどこにいても、生命の源である『豊かさという本質』の中に、生きている。

それに対して拓くことで、根本的実在へと回帰する道となっているのだ。

 

 

あらゆる欲望を追い求め、何かを得てもなお心が満たされず心が落ち着かないなら、悩み苦しみ絶望し、煩悩による行為に辟易しているなら、根本的実在について学ぶ時期だ。あなたの魂は、それを求めている。

 

あなたを、あなたとして存在させている何かがある。

 

あなたの日々は、神聖さで満たされているのだから🍀

 

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