
20世紀以上も前より伝わる古代インドの経典に、心を平静にするための教えとしてこのような言葉が残されている。
幸福な者への友情
不幸な者への同情
有徳な者への喜悦
不徳な者への無関心
簡潔でありながらも、とても深く響く言葉ではないだろうか。
当時を生きた賢者の言葉が、時代を超え国を超え、現代にも語り継がれているのには、今を生きる者にも通ずる真理があるからだろう。
だが、多くの人はこれとは逆のことをしてしまう。
幸福な人がいれば嫉妬し、不幸な人がいれば優越感に浸り、有徳な者の欠点を探したり過去を掘り返したり、不徳な者にはその過ちを言いふらしたりと、人間のエゴというのは実に落ち着きがない。
それは動物的本能により、優劣や競争こそがすべてだと思い込んでいるからなのだ。
けれど我々は、人間。
動物のように餌を取り合ったり、子孫を残したり、縄張り争いをするというだけでは、人間として生まれたお役目を果たしていないことになる。
人間を、人間たらしめているものがある。
幸福な者への友情
不幸な者への同情
有徳な者への喜悦
不徳な者への無関心
人間だからこそ、このようなことを意識できるのではないだろうか。
それに、幸福な者への友情は、自分自身への幸福を祝福するものであり、有徳な者への喜悦は、自分自身への喜悦でもあるのだ。
なぜなら、究極的視点では、万物は一つだから。
人間も動物も植物も細菌も、あらゆる生命体は約40億年前、地球に生まれた共通祖先から派生したものであり、約138億年も時を遡れば、宇宙をも成した根源へと辿り着く。
つまり、個々に姿形が違って見えるけれど、万物は繋がっている。
優劣をつけたり、比較をしたり、競争をするのが普通だと思い込んでいるけれど、真珠のネックレスが一本の糸で繋がっているように、万物は根源的実在によって生かされているエネルギー体にすぎないのだ。
個であり、全体。
一人ひとり、宇宙の崇高な流れの中で束の間生じ、やがては滅して他の構成要素となっていく。
万物はひとつ。
そう思うと、自分よりも優れた人と出会ったり、有徳な人を見ても嫉妬や嫌悪を抱かなくなる。
自分を卑下することもなく、むしろ他者の喜びを自分ごとのように喜べるようになる。
不幸な者がいれば、見てみぬふりをしたり、「それを引き寄せた本人が悪い」などと突き放さずに、寄り添い、相手の幸福を祈念することができる。
不徳な者も、根が悪い人はいないと分かる。
その言動をするに至った背景があるだけなのだ。
魂が成長するために必要な過程が起こっているから、あたたかく見守ってあげればいい。
幸福な者への友情
不幸な者への同情
有徳な者への喜悦
不徳な者への無関心
次は、あなたが行う番。
あなたが光となり、万物を照らす時だ🍀




