多様性の時代という言葉が生まれた現代で、私たちはその真の意味を自覚し、生かす時が来ている。

 

人は、どの時代でも個性を持っていた。自分を表現する手段や環境が整っていなかっただけで、いつでも多様性というものは存在していたのだ。

しかし、昔に比べて自分を表現できるようになった今でも、生きづらさを感じている人が世界中にたくさんいる。

 

多様性とは、ありのままの相手を許容するということ。

赤色が好きな人がいれば緑色が好きな人がいて、山が好きな人がいれば海が好きな人がいるという当たり前に認識しているものでも、いざ目の前に自分の価値観と異なる人が現れた時、否定せず共感できているだろうか。

 

一人ひとりに唯一無二の価値が備わっている。

興味関心の対象も、喜怒哀楽の対象も違う。まさに、多様だ。

自分に好きなことがあるように、相手にも好きなことがあるのだから、「ありえない」「変わってる」「年齢的にこうだよね」「こうであるべき」「普通はこう」という言葉は、今の時代にはそぐわないのかもしれない。

そもそも、普通とは何なのだろうか。誰の何を基準にしているのか。それは、その人の人生観によって創られた固定観念にすぎない。

 

多様性の時代なのに、未だにこのような言葉も耳にする。

独身の人に対して「結婚しないの?」、子供がいない人に対して「まだ子供つくらないの?」、子供が1人の人に対して「お子さん1人だと楽でしょう。うちは3人で大変」、結婚後に別々の人生を選んだ人に対して、「〜な性格だからバツイチなんだね」と、まだまだ寛容ではない。

 

どの選択も、素晴らしく価値がある。どれが正解不正解もない。

上記に限らず、多様性というのは一人ひとりの価値観が尊重されるべきものではないだろうか。

 

相手の考えに対して同意しなくとも、気持ちに寄り添うことはできる。

 

もっとお互いが寛容になり、多様性を分かち合えばいい。

ありのままの相手を許容し、相手が望む選択をすることを尊重する。そして自分も、自分がありたい本当の姿を素直に選んでいけばいい。

 

どの人の人生にも、軌跡がある。

その人だからこその視点と感性、経験値は、この世でたった一つの奇跡の結晶だ。

多様性の時代という言葉の奥にある、自分は自分で美しく価値があり、相手は相手で美しく価値があることを許容することの大切さ。

一人ひとりがそんな意識を持てたら、世界はもっと心地よく愛に溢れた場所になることだろう。

 

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