この世的なことは、万物を創造した存在からしたら、全く取るに足らないこと。

一時的に、今表出しているかりそめだ。

 

先日、群馬県にある鬼押出し園に伺い、浅間山の噴火によって形成された大量の岩を目にしてそれを改めて感じた。

当たり前のものや、永遠に続くものなど何もないのだと。

 

自然界には、人間がどれほど苦楽しようと、何かを強引に突き進めようと、それを一瞬で淘汰する力さえある。

まさに、不可思議力の賜物。自然界の浄化作用そのもの。

 

自然も生きているから、自然は自然の摂理に従って成すべきことを日々行っているに過ぎないのだ。

 

積み上がった岩の上や横にはあらゆる種類の植物が立派に育っていて、その時々の環境に適応していることがよく分かる。

 

 

万物は皆、不可思議な力の上で生かされている。

動物でも植物でも鉱物でも、姿形を問わず、本源は一緒なのだ。

 

だから、自然界と調和した生き方をしたいもの。

この世的なことばかりに意識を取られず、自然界の大きな流れを感じながら、一人ひとりが自身の成すべきこと、そして人間として成すべきことを行えたなら、人間も不可思議力によって守られ生かされ続けることだろう。

 

 

この世に生きているのは、人間だけではない。

むしろ人間の方が生かされている。

 

何か思い悩むことがあっても、大きな流れの中での一時的な現象なのだから、今を淡々を生きていけばいい。

 

今の自分だからこそできることを行い、人間だからこそできることを行わなくては。

そんなことを、ふと思った旅だった🍀

 

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