「多様性の時代」「多様な価値観」などという言葉をよく耳にするようになった昨今だが、本当の意味で、多様性を受け入れている人はどれほどいるのだろう。
個性を表現できるようになったとはいえ、まだまだ多様性を真に理解し受け入れている人は少ないのではないだろうか。
多様性の捉え方も、多様性。
「こうでなければならない」ものなど、この世には一つもない。
多様性を重んじる時代なのに、なぜいじめはなくならないのだろう。
なぜ、大人になっても苦しんでいる人が多いのだろう。
なぜ、自分の好きなことで生きることを叶えられている人が少ないのだろう。
恐らく、「多様性」とは言いながらも、知らず知らずのうちに周りの目を気にしていたり、無意識に他人に干渉していたり、自分の価値観を相手にも強要しているから。
多様性は、相手がありのままの相手であることを認めて許容し、あなたがあなた自身であることを認めて許容すること。
趣味嗜好、価値観の多様性をお互いが認め合い、尊重し合う愛のあるものだ。
どちらが正解不正解もなく、どちらが良い悪いもない。
相手は相手で価値があり、あなたはあなたで価値がある。
多様性なのだから、優劣をつけ相手を傷つける必要もないのだ。
例えば、多様性の時代でもまだこのような言葉を発してしまう人がいるのは、真に多様性というものの意味を理解していないから。
「男性なのに、ピンク色を身に付けてたよ〜。まぁ、多様性の時代だね」
「あの人は個性的だから、いつまでも独り身なんだろうな。いろんな人がいるよなー」
「あの夫婦は、結婚式挙げていないんだって。普通挙げるよね〜。多様性の時代だね」
こういった言葉は、多様性を真に理解していない。
他にも、「今の若い子は〜」と一括りにしてしまったり、「東京の人は〜」と固定観念を持って話してしまうのも、多様性を受け入れられていないからだろう。
実年齢に関係なく精神年齢が高い人はたくさんいるし、世の中のために自分の持つ知識や技術で貢献し、活躍している人はいくらでもいる。
どのような相手であれ、一人一人が自分のお役目を存分に発揮して生きているのだから、素直に認めて応援してあげればいい。
ありのままの相手を許容すれば、あなたの価値観を押し付ける必要もない。
相手は相手の価値ある人生、あなたはあなたの価値ある人生を歩んでいるのだから。
多様性と言いつつ、血液型だけで「ああでもないこうでもない」と自分を棚に上げて他人の血液型を批判してしまう人も、多様性に寛容になれず、真に心が満たされた生活をしていないことが多い。
いつも周りを気にしては悪口陰口、不平不満、愚痴をこぼしてしまう人。
そのような人たちは、自分に自信や信念がないことで、多様性の中にある相手の実力や才能を認めることを恐れているだけなのだ。
相手を認めたら、自分が積み上げてきたものが崩れてしまいそうな感覚になり、自分だけ取り残されないように相手を攻撃することで自分の身を守っているかのような幻覚に陥っている。
そのようなことをしなくても、もっと自分を愛して大切にしてあげればいい。
そして、相手にも愛を持って接してあげよう。
相手を認めたからといって、あなたの価値が下がることは全くない。
あなたはあなたで価値があり、相手は相手で価値があるのだから。
それに、人は完璧ではないし、完璧はあり得ない。
命尽きるまで常に魂は磨かれ、進化向上を続けるもの。
どんどん魂が成長していくからこそ、人生は面白い。
いろんな人がいていい。
いろんな人がいるからこそ、お互いの生まれ持つ魅力や才能が、相手の人生にも役立っていく。
私たちは、多様性があるからこそ、豊かで幸せな生活を送ることができている。
日々、目には見えなくとも常に多くの人たちに助けられて生きているのだ。
あなたが今手にしている物も、誰かが作ってくれた物。
誰かがあなたの元まで届けてくれたものであり、誰かがそれを考案してくれたからこそ、あなたが今恩恵を受けている。
多様性があるからこそ、それぞれの得意分野が誰かの人生に生かされてゆく。
あなたは既に、多様性による恩恵をたくさん受け続けている。
日々は尊い奇跡の積み重ねによって出来上がっており、多様性があるからこそ、様々な便利で有難いものが生み出され続け、どんどん世界は豊かになっている。
今度はあなたから、多様性の有り難みに気づき許容する時。
男性だろうと女性だろうと、年齢性別国籍に関係なく、好きな色を選び身につけていい。
一人一人に人生の選択権があるのだから、他の誰でもなく、その人に選ぶ権利があることを許容してみる。
素直に、相手が選んだ道や身につけている物、考えを褒めればいい。
相手は望んでその人生を歩んでいるのだから、あなたの人生観を共有はしても強要する必要がない。
そしてあなたも、唯一無二のあなたの人生があり、他人によって影響される必要がないのだ。
相手を素直に褒めたり、尊重し許容することができない時は、あなた自身を労わる合図。
あなたにとって心地よく幸せになれることに時間を使い、心から満たされてみる。
そうしているうちに、だんだん寛容になってくる。
自分が心地よさや幸せを感じるものがあるように、他の人にもそれぞれの幸せや成功の形があることを真に理解できるようになる。
相手は相手で価値があり、ありのままの姿でいい。
翻って、あなたはあなたで価値があり、誰にも遠慮せず本当のあなたを生きてこそ、あなたらしさが開花する。
それぞれが唯一無二の価値ある人生を生きているのだから、相手が何を考え何を選ぼうと、ありのままの相手を許容してあげればいい。
ただし、あなたも相手と同じことをする必要はない。あなたの好きなものは、あなたが選ぶ。
相手の趣味嗜好や考えに同意はしなくても、相手がありのままの相手であることを許容することは可能なはずだ。
世の中には、赤色が好きな人がいれば、黄色が好きな人もいる。紫色が好きな人がいれば、緑色が好きな人もいる。
原色やパステルカラー、ネオンカラーなど、色だけでも実に多彩。
色だけではなく、人それぞれに魅力を感じる場面や場所、雰囲気が全く違う。
同じものを見ていても、見る視点や感じ方が違う。
だからこそ、世界は美しい。
自分の心惹かれる感覚や興味関心を持つ対象は、年々変わっていってもいいし、変わらずにずっと同じものを好きでもいい。
それも多様性であり、その人だけのかけがえのない時間だ。
一人一人が自分の好きなものに向き合い、それぞれの世界を楽しむ。
それはとても崇高なこと。
みんなが同じである必要がない。
山が好きな人、海が好きな人、都会が好きな人、田舎が好きな人。
手芸が好きな人、キャンプが好きな人、クラシックが好きな人、ロックが好きな人。
どの好きも魅力的で、価値がある。
あらゆる並行現実があるのだから、あなたはどこにいてもいいし何を見てもいい。
相手を見る目や世界を見る目は、あなたの心のレンズ次第。
この物質世界に存在する生命は、魂を磨き高め、今世のお役目を果たす段階にいる同志なのだから、お互い様。
思い遣りの精神を持ち、「自分も相手も価値がある」のだと心から思えたら、あなたの見える世界は、きっと今まで以上に輝いてくる。
あなたと出逢う人も環境も、起こる出来事も変わる。
そしてあなたは、いつどこで何をしていても、あなたが望むものは何でも叶えていいと思えるようになり、また、他の人が何を望み何を得ても、心穏やかに見られるようになる。
我々が住む宇宙はどこまでも広大で、あらゆる資源をお持ちだ。
一人一人が望むだけの豊かさや愛を、望む分だけ叶えられる力を持っている。
だから、無理に奪うことや競うことをしなくてもいい。
あなたが望むだけの豊かさは、広大な宇宙がいつでも用意してくださり、相手の望む豊かさも同じように、宇宙のお恵みによってもたらされていく。
自分の人生に信念を持ち、あなたが選びたいものを何でも選んでいけばいい。
あなたの人生の主人公はあなた。
日頃から、あなたの選びたいものを遠慮せず我慢せず、心の赴くままに自由に選ぶからこそ、相手が選ぶものも許容できるようになる。
あなたが何かを遠慮したり我慢しているから、相手が何かを得ていたり叶えている現実が、許せない(許容できていない)だけ。
相手の持ち物や言葉、行動に憧れたり、嫉妬したりなど、ポジティブでもネガティブでも感情が揺れ動くのは、あなたの心が反映しているから。
そこに何か意味がなければ、感情は揺れず無関心になる。
本当は、あなたも叶えたいことがある。
望んでいることや、欲しいもの、やりたいことがたくさんある。
それをあなた自身が、自分の人生に叶うこと、実現することを許容していい。
時に相手を通して鏡のように、あなたの本心が投影されることはあるもの。
素直に相手を許容できない裏側には、「自分もそれを欲しているんだな」「自分もそうなりたいんだな」という想いがあるのかもしれない。
相手が存在していることは、本心を認識するための有難いきっかけでもある。
多様性による豊かさは、あなたの心の豊かさにも反映していて、あなたが見たい景色を何でも見られるようになっている。
あなたが望めば、あなたが叶えたい環境を引き寄せることだってできる。
多様性があるからこそ、いろんな面を見てあなたが選びたいものを選んでいけるし、あなたが創りたいものを創り出していけるのだ。
一人一人が、もっと自分という個性を愛し大切にし、尚且つ同じ地球に住むものに対しても、同じように愛を持って接することができたなら、世界はもっと愛に溢れ豊かになるに違いない。
それぞれがそれぞれに望む世界に目を向け、多様性を認め合うことは素敵なこと。
人は生まれながらにして豊かで、愛に満ち溢れている。
多様性の時代にその力を呼び覚ますかどうかは、あなた次第だ🍀