
自分という人生の
根幹を成しているものがある。
それは、その人をその人たらしめる
自身のダルマである。
その人が今世生まれるに至った
潜在印象があり、今まさに生きているのは
煩悩潜在印象に伴って発動した
宿業潜在印象によるものなのだ。
日々、自分の行動を主体的に
選んでいるように思えるけれど、
実は過去世からの膨大な潜在印象と
今世積んだ潜在印象によって
無意識に行為へ促されているだけ。
そして、そのような視点に気付かぬまま
他者とエゴを突き合わせ、
私利私欲のなすまま行為を行い続けることで
更なる煩悩潜在印象を積み、
自分の本質を悟ることもなく、
いつも心の片隅に不安や葛藤を抱えつつも
感覚器官を満たす物事に執着し続ける。
そして、この身体での寿命が尽きても
積み上げた潜在印象により内在者である魂を
身体に束縛し、不可避的に他の身体を
必要とし続ける。
これが、潜在印象が残っている限り
輪廻をする理由だ。
現象世界にて、今後も永遠に
苦楽を経験し続けなければならない。
あらゆる時代、あらゆる環境で。
何千年も前の時代を生きた賢者たちは
古今東西、表現の仕方は違えど
皆同じことを悟っている。
潜在印象を滅し、
根源的実在に回帰しなさいと。
この身体で今を生きているのは、
それぞれの潜在印象に伴った業があるからだ。
つまり、顕在意識レベルで
どう見える物事であれ
エゴがどう感じることであれ、
徹底的に受け入れ、宇宙の流れと共に
今の自分ができることを無心に淡々と行う
ことでしか、潜在印象は滅せられないのである。
無心にというのは、邪念を取り払って
行為を行うということ。
計算や算段によって結果に
執着するのではなく、
何かの見返りを期待して
損得勘定で動くのではなく、
行為も結果も自分を創造した
高次元の存在に捧げ切るのだ。
そうしているうちに、
煩悩潜在印象は滅せられていく。
煩悩潜在印象による強制された行為から
解放され、真我の声による行為を
行えるようになることで、
あらゆる悩みが
軽くなっていくのが分かるだろう。
この世的な悩みは何であれ、
外側にあるものでは解決しないのだ。
どのような技法も、どのような儀式も、
祭典も、物も人も、情報も、場所も、
一時的には拠り所となっても
その者の潜在印象は、その者自身が自ら
意識を変えていかねば解消されないのである。
物質的にどれほど満たされていても
なぜか心が満たされないのは、
自分の本質を知らないからだ。
何かを得ても、欠落思考によって
いつまでも何かが足りない気がしたり、
漠然とした人生の不安に
取り憑かれてしまうのも、
潜在印象によって自らが顕現したことを
知らないから。
私利私欲によるエゴによって
自分の本性が曇らされているからなのだ。
これを解決する方法は、実にシンプルである。
行為の意識をエゴによる視点ではなく、
自分の本質に向ければいい。
自分の本質とは、
真我、魂、
あなたの心と身体の複合体に
命を吹き込むプルシャ。
それは万物の根底を支え、地球を成し、
宇宙をも成した本源であり、
あなたという存在の究極の本源である
かのものブラフマン。
それを観知し、意識を向けることこそが
真に宇宙の流れと共鳴することであり、
自身のダルマを行うということ。
自分を自分たらしめる自身のダルマを行い
潜在印象を滅し、
非実在たる根源的実在に回帰することは
まさに、人間としてのダルマそのものなのだ。
動植物ではなく、人間として生まれた意味がある。
この人生だからこそ、できることがある。
一人ひとりが神の働きかけを日々感じとり
崇高な流れに奉仕するからこそ、
その者の人生にとって必要な
豊かさや幸は、自然に満たされていく。
宇宙の流れと同調し、共鳴するからこそ、
宇宙全体の調和が保たれていくのだ。
分かる人には分かる。
目覚めかけの魂、そして、
己の使命に向かう魂には、観えている。
その真理と魂が、合一しているからだ🍀




