直感は、今までの経験や知識からくる無意識に感じるもの。
直観は、直感を超越した力を持つ素晴らしいものだ。自分の経験の有無を問わず、感覚として降ってくる。
どの人にも日々、あらゆる場面で訪れている『直観』。
けれど、それを無視して「やらなければならないから」「こういうしきたりだから」「決めたことだから」などと、自分の内にある声に耳を傾けず、論理的に物事をこなしてしまう。
直観を無視して何かを達成しても、なぜか心から満たされなかったり、なぜか自分の望んでいた結果にならない。
直観は、自分が進むべき方向ややるべきこと、魂の成長に必要なことを既に知っていて、より良い人生を送れるようにサポートしてくれているのだ。
私は、この直観を最優先にしている。
例えば、どんなに有名な人が言った言葉でも、自分の中で違和感があれば俯瞰している。
他にも、散歩に行く準備をしている最中、「なぜか足が重いような感覚」になった時は、躊躇せず行くのを辞める。
行こうと直前まで思っていてもだ。
なぜか。
それは、心の声に耳を傾けているから。
心からの選択を優先することは、「自分」を生きているということ。
どれほど有名な人の発言でも魂の成長段階が人それぞれ違い、その人の魂が今感じたことが声になっているので、自分と合うとは限らないのだ。
また、その声が自分の叶えたいことの裏返しではないかを客観視するきっかけにもなるし、単純にザワっとした感覚は、「その人の発言を聞く必要がないよ」と潜在意識が教えてくれている場合もある。
どれだけ評価されているかに関わらず、『最終的には自分の感覚を優先すること』は、どの人にも大切なこと。
また、自分で決めたことであったとしても、すんなりとフットワーク良く動けない時は、『今はその時ではない』という高次元からのお知らせなのだから。
散歩の時、「なぜか足が重い気がする」や「行こうと思っていたけど、、」と自分の中で違和感を覚えたなら、何かがある。
心と身体の不一致が起こるのには、意味があるのだ。
何か身に起こるはずだったアクシデントから、守られているのかもしれない。
散歩よりも、今やるべき大切なことがあるのかもしれない。
休養が必要なのだと、身体が叫んでいるのかもしれない。
意味があるからこそ、何かを感じる。
これらは上記の例に限らず、あらゆることにおいてそうだ。
日々起こっている『直観』を無視していないだろうか。
「自分にとっての心地良さ」で選んでいると、自分自身が幸せを感じることができる。
自然と心のゆとりができ、それが波動として伝わり、自分の周りも心地良くなっていく。
自分の感情に蓋をして無理に合わせると、必ずどこかで我慢をした反動が出る。
しっかりと帳尻が合うようになっているのだ。
このような声を、一度は聞いたことがあるのではないだろうか。
「嫌でもやらないと始まらない」
「辛いことを乗り越えてこそ発見がある」
確かに、そこから得た経験も財産となるだろう。
しかし、その体験でなくても別の体験を通して同じ学びを得られることもあるし、もっと自分が楽しくワクワクした状態で学ぶこともできるのだ。
もしかしたら、今は適したタイミングでない出来事もあるだろう。
それを無理にこじ開けていくのか時期を見るのかは、あなたの性格や感性次第だ。
どの人も、自分で創り上げた固定観念によって、その通りの現実を体感している。
直観がしっかり来ているのに自分を信じなかったことで、より多くの馬力が必要になってしまうこともある。
もしそうなったとしても、その人の魂の成長に必要なことなのだろう。
今このブログを読まれている人は、きっと、「直観」というものについて興味関心があり、身に付けたいと思っている人のはず。
まさに、直観が引き寄せた賜物なのだ。
あなたには、直観力がある。
その感覚を活かしていけば、あらゆることがうまくいく。
どの人の意見よりもあなたの直観はものすごく優れていて、あなたの人生に日々、大きな意味をもたらしてくれているのだから🍀