慈悲。
この言葉を深く考えさせられるドキュメンタリーを拝見した。
主人公は、誰にでも分け隔てなく、いつでも愛を持って接するということを長年実践なさり、慈愛と優しさが身体全体から満ち溢れている方だ。
あらゆる場所に自ら足を運んではその場の勇気を煥発させ、愛を惜しみなく与え続けた。
相手がどのような状況であっても皆を兄弟だと言い、同じように接した姿勢は、神の愛そのものだ。
人間はエゴがあるので、自分の感情感覚を優先してしまいがちになる。
けれどこの方は、慈悲からなる言動のすべてに、浄化の作用が宿っているようだった。
自らの過ちがあれば素直に謝り、正すべきことを正当に律し、愛そのものとは何なのかをユーモアを交えながら伝えてきた。
平和や友好の必要性を真に悟り、国の分断が行われている緊迫感のある場所にも積極的に赴き寄り添い、真摯にその場で祈念をする姿には涙が溢れてしまう。
この方と同じようにはできなくても、誰にでも分け隔てなく愛を持って接していこうと思い、できることから行動に移してみるだけで、世界全体が豊かさに満ち溢れるのではないだろうか。
今、自分ができることから始めてみる。
性別、年齢、経歴、肩書、国籍といった表面的なことにとらわれず、その奥にある真の愛に意識を向ける心。
慈悲には、何をどれだけ成し遂げたかや、何をどれほど保有しているかで優劣をつける社会の幻夢を超越した、相手の魂と共鳴する崇高な意味合いがあると思う。
人間として生かされている者が、世の至高善のために成すべきことを、この方は示してくださった気がする。
慈悲。
あなたはこの2文字から、何を感じるだろう。
あなたにできることは何だろう。
一人ひとりに、今世成すべきことがある。
愛ある言動がほんとうの愛を紡いでいき、ほんとうの愛を出し惜しみしないことが、世界全体にとって、より良い方向へ進んでいくための道となっていく。
姿形は違えど、深い意味では、みんな繋がっている。
魂の学びと進化向上のためにこの世にやってきた、同志なのだから🍀