このような境地があったとは。

本日、初めて陶芸を体験し感じた世界がある。

 

それは、熱中した先にある無心の世界。

忙しない日常から離れ、ひたすら目の前の粘土と向き合い、夢中になって手を動かす過程は、まさに日々を創り上げる現実創造の過程と同じだと実体験したのだ。

 

 

頭の中で思い描いている形を実際に整形する時は、損得勘定なく、優劣もなく、競争もなく、ただ目の前の粘土を自分の意図した形にしていく。

少しずつ微調整しながら、最後は思い描いていた形を成す。

 

自分が叶えたいことが現実になる過程も、陶芸のように自分の内側にあるものを表現してこそ、目に見える形となる。

他の誰に遠慮することもなく、無心に自分の内なる声と向き合う時間があることで、自分が意図したものがしっかりと形成されていくのだ。

 

 

熱心に自分が思い描いている形(未来)に向き合い、目の前の粘土(今できること)を形作る。

 

自分の人生の粘土を捏ねているのに、他人の目や反応が気になる時には、まだ無心になれていないのかもしれない。

捏ねている対象は、本当に心から好きなことではないのかもしれない。

 

好きだったら、無心になれるから。

 

 

無邪気に心ゆくまで自分の好きなことを探究し、自分らしく、自分だからこそできる形にしていくこと。

それがどれほど時間が掛かっても、真の望みを思い描き手を止めなければ、着実に形になる。

 

そう、陶芸のように。

 

 

どこか遠くを見るよりも、自分の目の前にやるべきことがあり、それを一つずつ形にしていく大切さを陶芸は教えてくれた。

 

 

いろんな形の作品があるように、いろんな人生があっていい。

どれが正解不正解もなく、自分は何を成すのか。何を成したいのかだけ。

 

いくらでも遠慮することなく、あなたが思い描く幸せの形を創りあげていいんだ🍀

 

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