いつでもどこにいても、あなたは至高の時を過ごしている。

ホテルのラウンジで本を読んでいても、地元のカフェで本を読んでいても、自宅で本を読んでいても、機内で本を読んでいても、電車で本を読んでいても、どれも変わらぬあなたであるように、普遍の時間がそこにある。

 

一流の場所や有名な場所、人気の場所で過ごす時だけが特別なあなたなのではなく、どこで何をしていても、あなたはあなた。

一人でいても、誰かといても、価値ある至高の時が流れているのだ。

 

対立観念で物事を感じ分けているだけで、本質はいつでも同じ。

 

特定の場所や特定の人、特定の何かは、一時的にはあなたを楽しませ、喜ばせ、満足させてくれるかもしれないが、どれもかりそめ。束の間の幸せだ。

それらは、根本的なあなたの欲や悩みを満たすための解決策にはなっていない。

 

『自分は、いつどこで何をしていても、至高の時を過ごしている』と気づけないと、何をしても何を得ても心が満たされぬまま、いつまでも外にある何かを追い求め続けることだろう。

 

 

あなたの魂は、既に知っている。

あなたの中に、至高の時が流れているということを。

 

実はあなた自身が、至高の流れそのものであり、神聖さそのものなのだから🍀

 

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