先日、自宅で仕事をしていると面白い訪問営業が来た。
「〜教の者なのですが、パンフレットをポストに入れておいてもいいでしょうか?」
私に宗教の営業が来るとは!笑ってしまった。
もちろん、結構ですとお断りした。
なぜなら、どこかの団体や宗派に属する必要がないから。
自分を唯一無二の自分として創造した高次元の存在があることを真に実感しているので、この世的な特定の誰かに依存することや、特定の団体や考えに属することに意味を見出せないのだ。
人生の指針である直観は、自分を創造した存在からくる崇高なもの。
それは、外から来るよりも内から来ることがほとんどだ。
生まれた時からずっと、自分を導いてくれているものであり、誰の中にもある神聖なもの。
それ以上の指針があると思っているのは、エゴなだけ。
固定観念を手放すと、自分を生かしている存在の崇高な指針を真に信仰するようになり、特定の人や場所からの依存から自由になっていく。
何かを信仰することや、どこかに属することは何ら悪いことではないが、そこに属したから運命が変わるわけでもなく、人生が変わるわけでもない。
内側から変わらない限り(エゴではなく、真我である魂の声を聴かない限り)、物質的にも精神的にも満たされることはないのだ。
見ていて思うのは、外に外に、自分を幸せにしてくれる対象を求めるから、迷ってしまうのだろう。
ほんとうは、最高の指針が一人ひとりの中にある。
その指針は、誰かに証明できるものでもなければ、説得してまで分からせるものでもなく、「ふとこう思う」「こうな気がする」「他の人はこうだけど、自分はこうしたい」という感覚であり、自分の内から聴こえてくるもの。
「こうしたい」だけ見るとエゴなのだが、自然にそう思う感じだ。
力づくで「何が何でもこうしたい!!!」ではなく、リラックスした平静な状態での「こうしたい」という自然な導き。
これらは理論的思考を超越していて、自分の人生にとって必要なことは、最高のタイミングと方法で満たされていく感覚がある。
魂の声そのものであり、ほんとうの自分の声なのだろう。
宇宙や神や天使など表現の仕方は多彩だが、どれも本質は同じこと。
自分を自分として創造した高次元の存在には、自分を生かしている意味がある。
そして、今世のお役目があり、今世の履修課題であるカルマがあり、それぞれの魂の成長に相応しい環境での学びがある。
苦楽の中で、心身を浄化し魂を成長させる機会を与えられている。
このような考えを持ってみると、内なる指針をより信じられるようになる。
自分を信じるという信念は、自分を信仰することそのものだ。
自分というのはエゴではなく、この身体を生かしいている高次元の存在の崇高な導きと共鳴すること。
そうしているうちに、あらゆる悩みが自然に解決していく。
何かが必要ならば、その時々で適切なタイミングでそこへ導かれるし、誰かの言動で迷うこともなくなっていく。
あなたの人生にとって必要なことも、神の恩寵によって確かに満たされていく。
宇宙の崇高な時間軸の中で、適切な時期にことが成すようになっている。
最高の指針は、いつどの時代に、どこで何をしていても、一人ひとりの内から聴こえてくるものなのだから🍀