誰かの前では言えて、誰かの前では

言えないことは言うべきではない。

 

その行為は自身の中に煩悩潜在印象として

積まれ、やがては自分で刈り取らなければ

ならないからだ。

 

例えば、3人の子育てをした

Aさんがいるとする。

 

その人が独身の人に対して、

「独身は楽でいいね」と言ったり

 

結婚しているが子供がいない人に対して

「子供がいないと自由でいいね」と言ったり

 

子供がいても自分より人数が少ない人に対して

「子供が1人だとお金がかからなくていいね」

 

などと悪口や不平不満を言って優越感に

浸ったり、

「自分はこんなに頑張ったのにあなたは違う」

というように、勝手に自分を高めて相手を

傷つける行為をしている場合。

 

一見、Aさんは他者に向けて言葉を

放っているように見えるが、

 

後に自分自身を苦しめる種を

蒔いているのである。

 

なぜならAさんは、

万物を同等に見れていないから。

 

価値観の多様性を許容できていないから。

 

我欲による視野で生きるという

煩悩を積んでいるからだ。

 

 

もし、Aさんが誰にでも同じ口調で同じ内容を

堂々と直接言えるのであれば、それは確固たる

信念があるということだが、

 

大概は損得勘定や見栄、煩悩による

曇った視野で、

「この人になら言っていいだろう、

傷つけてもいいだろう」

という判断をしているに過ぎないのである。

 

それでもAさんが、

「誰にでも堂々と言える」と言ったとする。

 

ならば、筆者はこう質問するだろう。

 

「女性からコルセットを解放させ、

ファッション界に革命を起こした

ココ・シャネルさんに、同じことを

言えますか?」

 

「女性で初めて大西洋横断飛行を達成し、

太平洋横断飛行という最大のミッションを

果たすために生きた、アメリア・イアハート

さんの前で同じことを言えますか?」

 

「慈悲の精神で天命を全うした、

マザー・テレサさんに言えますか?」

 

 

恐らく、言えないと思う。

 

それは、人を外見や肩書、損得勘定で

見ているからであり、

 

神の化身である万物を

我欲で感じ分けているからであり、

 

人生で起こるすべての喜怒哀楽が

魂の進化向上のために必要な修行なのだと

知っていないからなのだ。

 

 

生老病死という実存苦に真剣に向き合い

 

自分が今世すべきことを

日々無心(邪念を取り払う)に行っていれば、

 

人生に起こる全てを

好悪なく受け入れられる。

 

そして、万物それぞれにやるべきことがあり、

果たすべき業があり、そこに優劣はないのだと

悟り、あらゆる物事を俯瞰して見ることが

できるようになる。

 

 

Aさんは、本当は不平不満を

言いたいのではない。

 

根の悪い人は誰一人いないし、それを言うに

至った経緯、背景があるだけであり、

 

自分でも気づいていないだけで、

核となる根底的なものが満たされていない

だけなのだ。

 

 

人生において私利私欲による感覚器官を

満たし続けることを優先させ、

 

他者との優劣や比較、競争に明け暮れ、

一時的に人間としての根幹の悩みを

無視したとしても、

 

何度も手を替え品を替え、魂の学びに

必要なことが自分の現実に表出する。

 

Aさんが誰かに対して不平不満を

口にしているのはまさに、

 

相手そのものに怒りや嫌悪を感じていると

いうよりも、その背後にある大元の悩み、

 

自身の中にある根源の悩み、

 

長年(ことによると幾千回もの転生の中で)

見て見ぬふりをしてきた悩みの本質に

向き合いたいと思っていることの裏返し。

 

自我(エゴ)はあれやこれやと忙しなく

思考し、言葉にし、行動しているけれど、

 

本当の自分である真我(魂)は、

悟るべき真理を観知している。

 

だから、怒りや葛藤を感知する現象と

巡り合っているのである。

 

悩みの根底を見つめる良い機会が

崇高な計らいによってもたらされているのだ

 

 

喜怒哀楽という感情は、魂の進化向上を

俯瞰するバロメーター。

 

喜怒哀楽は素直に感じつつ、

そのまま素通りせずに向き合ってみればいい。

 

なぜその感情を抱いたのか、なぜその言葉を

選んだのか、なぜその行動をしたのかを

俯瞰してみると、驚くほどの平静さと

共鳴することだろう。

 

すると、煩悩潜在印象が徐々に浄化され、

心からの安心感や幸福感と合一する。

 

同等感が確立し、過去に起きたことや

目の前で起きていることが、すべて魂の学修

そのものであると覚知するようになるので、

 

誰かの前では言えて、誰かの前では言えない

ということ自体がなくなる。

 

そして、あらゆるものの姿形や特性が

異なっているように見える自分自身を含めた

万物の背後にある唯一なるものを観知し、

 

起こるすべての出来事の背後にも唯一なる

ものが支えていることを観知することで、

新たな煩悩を積むこともなくなっていく。

 

 

魂の故郷たる根源より派生した存在は、

自分自身であり、万物なのだ。

 

このような視点に立つと

今までの不必要な執着が一気に剥がれ落ち

 

煩悩潜在印象が浄化され

 

エゴの自分ではない本当の自分が表出する。

 

相対的な変わりゆく幸福ではなく

絶対的な普遍なる幸福に包まれ、

 

他者を見る目だけでなく、普段からの思考、

言葉、行動が変わる。

 

過去生から積み上げてきた莫大な量の

煩悩によって曇らされ見えなくなっていた

本来の自分と合一し、人生観が大きく変わる

ことだろう。

 

そして、臆することなく天命を全うできる

ようになり、この世的な悩みが根底から

解消されていくようになるのだから。