「無理しないでね」

 

相手を気遣うこの言葉。

この言葉を発する人は、相手の安全や健康を心配し、心から相手を想って言っている。

 

けれど、目覚めかけの魂や、己の使命に向かう魂にとっては、この言葉が天命を全うする上で足枷となってしまうことがあるのだ。

 

エゴからなる私利私欲ではなく、魂の自然な輝きを全開で解き放ち、天命を全うすることに全身全霊を注ぐ魂は、普通はこうと言われる生活リズムや、こうあるべきだという考え方や、一般的にはこうなどという行動をしないことがほとんどだ。

なぜなら、社会を社会たらしめる社会のダルマという一般的な枠に違和感を感じているため、枠から脱し、自分を自分たらしめる自身のダルマを無心に精一杯行っているからである。

 

すると、その行動が異常に見えたり、頑張りすぎているように見えたり、無理をしすぎているように見えてしまい、その人のことを想う人からすれば、自分自身を労ってねという気持ちを込めて「無視しないでね」と声を掛けるのだ。

 

当の本人は無理をしている感覚はなく、むしろ楽しく時間も忘れて作業に没頭している。

 

自分がすべきことに没頭しているのだが、天命を全うする覚醒した魂は、大抵は優しく愛があり、感受性が豊かなため、大切な人から言われた言葉も大切にしてしまうのだ。無意識に。

 

これにより、自然に伸びようとする魂の声を抑え込んでしまったり、燃え上がる魂の炎を弱めてしまうことに連動して自信がなくなってきてしまうことがある。

 

大切な人を心配させたくない、困らせたくない、気を遣わせたくないなどと思ったり、大切な人との時間も確保しなくてはと計らい、自身のダルマがどんどん後回しになっていってしまう。

 

そして、自身のダルマを行うことに目覚めている魂が社会のダルマのリズムに戻ってしまうと、波動域が異なるので当然のことながら、葛藤やジレンマや喪失感が生じる。

 

大切な人からの「無理しないでね」という言葉も相まって、相手が望む相手として振る舞うべく本当の自分を抑え込む。

 

自分を抑え込めば宇宙の流れと反するので運気が停滞し、他のことにまで影響が出てしまうようになるのだ。

 

 

大切な人に「無理をしないでね」と声を掛ける気持ちはよく分かる。

よく分かるが、その人を内側から突き動かす魂の自然な輝きを全開で解き放たせてあげた方が、その人のためになる。

 

自身のダルマを行う者は実年齢に関係なく、すべきことをすべき時に行う。

 

本当の自分を偽りながら、自分ではない自分として長生きをしても意味がないことを覚知しているのである。

 

だから、大切な人が何かに熱中している時や没頭している時、全力を注いでいる時には、心配するよりもあたたかく見守ってあげた方がいい。

 

 

それぞれの人生に、すべきことがある。

 

それは、その人をその人たらしめる今世の宿業なのだから🍀

 

おすすめの記事