
食事は、命の源。
活力の要であり、精神性をも高める力となってくれる有難いものだ。
食品の香りや食感、味、色、栄養素、鮮度など、どこの産地であろうとも、善性要素に満ちた素材のエネルギーが神そのものの恩恵なのだと、感じずにはいられない。
今日もこの有限なる心と体の複合体の構成要素となってくれた沢山の命があり、それらを届けてくれた無数の縁起がある。
そして、食事ができる環境にあることや、食事を口に運び、咀嚼し、消化吸収排泄をすることができているという奇跡。
あらゆる神の恩寵が重なっていて、繋がっていて、循環しているのだ。
このような万物の背後にある崇高な宇宙の流れを感じるほどに、自然と感謝の念が湧いてくる。
当たり前のことなど、何一つないのだと。
誰も、何も、究極的には誰のものでもない。
この世の全ては神のもの。
だから、この心と体の構成要素となってくれた神のあたたかさを胸に、自分ができることを無心に精一杯奉仕する。
エゴからなるものではなく、神の欲する物事を欲する。
自我による我欲ではなく、真我による魂欲を全うする。
いつからだろうか。
そのように思念し、感謝とこの上ない幸せを感じながら食事をしている。
それが普通でなくても構わない。
変わっていても構わない。
この気づきのエネルギーやこの信念の基盤さえも、神が姿形を変え、食事のエネルギーを通してもたらしてくれているのだと覚知しているからだ。
神の働きかけに従い、普段から内側で観知していることを言語化させた。
この人生を通して感知していることだけではなく、観知していることが言語化されこの世に表出したということは、それが誰か魂の目覚めにある者の役立つからこその神の計らいなのだろう。




