
人生で初めて、遺言書を書いた。
別に持病があるわけでもなければ、今何かの疾患があるわけでもなく、自らこの世を去ろうという心境にあるわけでもない。
純粋に言葉が降りてきたので、書き留めたのだ。
それは、特定の誰かに対する感謝の言葉のみではない。
感謝の言葉は日々惜しみなく、直接言葉で伝えているので悔いがない。
死後、この心と身体の複合体をどうしてほしいかという要望と、どうか墓や何回忌など、この世的な社会の規律やしきたりといった社会のダルマに翻弄されないでほしいことを綴った。
お金や時間を自分自身のために、また、世の至高善のために有効に使ってほしいからだ。
主人や母親にはよく、「私が亡くなったら、こうしてね!」と伝えているのだが、冗談半分に思われている気がしてならない。笑
誰しも、いつが最期かは分からないもの。
だからこそ、毎日を毎瞬を、尊ぶ。
今の自分ができることを無心に(邪念を取り払って)精一杯行い、行為と結果を自分を創造し生かしている存在に捧げ切るだけだ。
内在者である魂が、この身体での学修というお役目を終えた暁には、何かしらの方法でこの身体から抜け出る。
それが老死なのか、病死なのか、事故なのか、時期も場所も含め、それすらもエゴではなく内在者が決めること。
そこに拘わらざる必要はないのだ。
安心して、ただ毎瞬、自分を今に生かしている崇高な宇宙の流れと共にいればいい。
生存において渇望せず、起滅において慄かないほど神聖な流れと合一しているからこそ、今、この瞬間に集中し、天命を全うすることができるのだ。
私利私欲という自我に惑わされず、他者とエゴを突き合わせることに翻弄されず、魂である真我の声を聴く。
他の誰でもなく、神が創造した自分だからこそできることに、責任と信念とこだわりを持って生きるのみ。
遺言を書いて感じたのは、とても心が軽やかになったということ。
もうしがらみが一切ない。
あとは、この命尽きるその瞬間まで神の働きかけを尊重し、この人生だからこそできる形で、世の至高善のために奉仕する。
万物の根底を支えている根源に意識を向け、波動レベルで同調し続ける。
なぜならその根源こそが、自分の源であり、本性なのだと覚知しているから。
私に限らず、万物は皆そうなのだ。
エゴに曇らされて気づいていないだけ。
幾千回もの転生を経て、ようやく自分の本質を悟ることができたのは、それがこの人生での学修だからこそ。
それぞれに天命がある。
それを日々、全うするだけ。
誰の人生が正解不正解もなく、それぞれに価値あるお役目があるのだ。
宇宙の視点から観れば、万物には優劣は存在せず、皆同等。
本家とか分家といった煩わしさもなければ、どこの生まれだから高貴だとかもない。
この世的な視点で何を成し遂げようと成し遂げまいと、あらゆる指針や指標に翻弄されているのはエゴであり、魂の知ったことではないのである。
そう思いながら、遺言を手帳に忍ばせた。
さあ、今日も天命を全うしますか!☺️




