誰にでも、生まれた使命がある。

それに気づくかどうかは別として、今生に至った業がある。

 

人生には目的などないという視点もあるけれど、それは、“ 人生の一瞬一瞬を尊ぶ ”という意味で言うのなら合っていると思う。

 

しかしながら、私利私欲に塗れて感覚器官を満たし続けるのは、無明の道。

 

何気なく今を生きているようで、本当は誰しも生まれるに至った潜在印象があるのだ。

それこそが、今世の業。

 

 

私は年年歳歳、役目を果たし終える信念が強まっている。

幾千回もの転生を経た今、ようやく人間として生まれたこの生の務めを果たし終えられる安堵がある。

 

毎日のあらゆる瞬間に尊さを感じ、感謝を言動にし、万物の中に自らの一部を観れている。

 

すべての行為と結果を自分を創造し生かしている存在に捧げられており、いつどこで、どのようにしてこの人生が完結しようとも、全く悔いがないほど全身全霊で毎瞬を捧げられている。

人として生きること、そのものの集大成なのだという責任感で今を生きているので、たとえ今日が最期でも悔いがないのだ。

 

日常そのものが魂の学修という一大仕事であり、自分という存在すべてを通して神の叡智を表出させ、社会価値へと変換させるベく、言葉が自然とこの身体を通して湧き出してくる。

身体が然るべき時に、自然と動いていく。

 

あとは神の手足となり、宇宙の流れに奉仕するのみ。

その結果も、神のもの。

 

 

私利私欲に塗れていた時には想像もできなかった安心感や満足感、心地よさが日々ある有り難さ。

 

二元性で物事を観なくなったことで、不安や葛藤、焦りや嫌悪もなく、他者と優劣や競争をする必要もない。

 

宇宙の流れに身を委ねているからこそ、この人生にとって必要なあらゆることが満たされていくのが分かる。

 

このような感覚を言語化することも、私の使命なのだ。

 

 

どの生も美しく価値がある。

生きていない物体ですらもそこに存在する意味があり、目に見えるものに限らずこの世のすべてが尊い。

 

そして人間界に視線を向けてみると、数多の役目を持つ者が目に留まる。

 

人を笑わせ、場を盛り上げ楽しませるために生まれる者。

 

人に癒しを与える者。

 

繊細さや丁寧さが際立つ者。

 

強欲に駆られて一生を終える者もいれば、この世的な問題を解決すべく奮闘する者もいる。

 

自分や他者を幸せにしようと努力する者、動物にも植物にも愛を持って接する者など、それぞれの業がある。

 

そして、真に業を果たしているかどうかを知るのは本人のみ。

 

エゴによる損得勘定で動いているのか、魂の声による使命を果たしているのかは、外側からでは見えないのだ。

 

 

誰の人生が偉いわけでも凄いわけでもない。

それぞれに、業があるだけ。

 

皆同等。

広大な宇宙の流れから観れば皆同等であり、無常なのだから。

 

その無常の世に人間として生まれたのであれば、人間界、自然界、地球全体、宇宙全体のためになる行いをすることが大事ではないだろうか。

 

それはまさに、自分の使命を全うすること。

 

エゴによる選択ではなく己の業を行うからこそ、宇宙の流れと調和する。

宇宙の流れと同調することは、自分にとって必要な豊かさも自然に整うということなのだから。

 

 

今日も宇宙の流れと共に、すべての行為と結果を捧げる。

 

意識を成熟させ、魂を進化させ、精神性を深化させる過程そのものが、自分を自分たらしめる自身のダルマだからだ🍀

 

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