先日、自宅で主人と動画配信サービスを見ていた時のこと。

おすすめで表示された動画の中に、たまたま私が10代の頃に好きだった元アイドルが、サムネイルに写っているのを発見したのだ。

 

久しぶりに拝見して嬉しかったのだが、好きだったが故、ふとこう言ってしまった。

 

「えっ!なんだか昔の方がよかったな」

 

髪型やメイク、雰囲気が、当時好きだった時とはまるで変わっており、それがなんとなく、その人に合っていないように感じたからだ。

 

何かを見聞きして、自分の気持ちを表現することは普通だろう。

けれど私はその言葉を口にした瞬間、猛烈に反省した。

 

なぜなら、ありのままの相手を許容できていない言葉だと思ったからだ。

 

年齢を重ねれば趣味嗜好は変化し、容姿が変化するのも当然のこと。

そして何より、髪型や髪の色味、メイクの仕方、選ぶ服装、言葉遣いや醸し出す雰囲気を、その人は良いと思ってそうしているのだから、それで良いのだ。

 

良い悪いという感覚はこちらの趣味嗜好であり、たとえ同意したり共感はできなくても理解することはできた。

 

「雰囲気が当時とは変わってしまったけれど、お元気そうでよかった」

「当時も素敵だったけど、今も変わらずお綺麗だな」

などと言えばよかったなと、翌日になっても後を引く重荷を次に活かすべく、言動を省み続けた。

 

魂を浄化し研鑽をする機会を与えてくださった宇宙に、感謝である。

 

 

完璧な人はいない。

完璧なのは宇宙の流れだけであり、すべての魂は何かしらの学びで生を受ける。

 

どのような姿形であれ、どのようなものを身につけていようとも、誰もが価値がある。

誰もが宇宙の流れの中で生じた一時的な波であり、究極的視点では万物はひとつ。

 

だからこそ、ありのままの相手を許容する。

万物の中に自らを観、自らの中に万物を観る。

 

悟りの境地は奥深い。

 

この命を通して、魂の修行を続けていきたいと思える有難い出来事だった🍀

 

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