人間のエゴは、欲の底なし沼だ。

どれほど大きな家に住もうと、どれほど高価なものを身につけようと、どれほど地位名誉、権力、富を得ようとも、一向に心は落ち着かない。

 

時代の流れと共にどんどん便利で快適になっているのに、人の心は未だエゴの奴隷となり、欲望に伴う欠落思考によって煩悩を満たす行為に促され続けている。

 

煩悩による行為は、自分の所有物や経験値に留まらない。

海域も空域も、ことごとくどこの管轄だと決めている。

しかも日本は世界で唯一、他国に上空の飛行航路までをも決められている。

 

人間界における社会のダルマは、笑止千万である。

 

動物にも縄張り争いはあるだろう。

組織の中で優劣をつけ、餌や繁殖相手を奪い合っている。

 

けれど、我々は人間だ。

動性的な大脳辺縁系に限らず、人間を人間たらしめる大脳新皮質を持っている。

これを世の至高善のために役立たせなくては勿体無い。

 

どちらが偉いとか、凄いとか、宇宙の視点から見れば全く取るに足らないこと。

 

一番進歩しているように見えて、一番宇宙の調和から離れている人間。

動物も植物も、川の流れも、星々の軌道も、宇宙の流れと調和しながら存在している。

人間だけが、もっと強く、もっと速くと自然の調和を捻じ曲げている。

 

人間はいつから、生かされているという深遠さを忘れてしまったのだろう。

自然界のお陰で呼吸ができているのに、自然界が食物をもたらしてくれているのに、人間としての真のお役目を果たさず欲望に塗れ、エゴを突き合わせながら日々争っている。

 

社会の秩序を保つために、ルールや決まりが生まれるのは自然なことではある。

けれど、エゴで自分や自分たちだけが良ければいいというものは、人間の勝手な行い。

 

究極的視点では、

青空は、みんなのもの。

空気も海も、みんなのもの。

みんなという万物の背後にいる、宇宙をも成した本源のものだ。

 

 

一人ひとりの人間が、エゴではなく魂と向き合い、自分の内に真の幸せ、喜び、平和、光明を見出せるようになれたなら、人間は真の人間になっていく。

今まで想像もできなかった豊かさの形が表出するのは必然だろう。

 

まだあと数百年くらいは私利私欲を満たし、エゴを突き合わせる動性的な人間が多くても、どこかのタイミングでは変わっていく。

どれほど欲を満たしても、満たしきれない宇宙の真理を心の奥深くで感知するからだ。

それが、人間として生まれたお役目。

 

 

万物は、生じ、変化し、滅する一時的な現象。

宇宙をも成した存在によって生かされている仮初のエネルギー。

 

無常の世で私利私欲を満たし続け、エゴの奴隷となったまま死を迎え、莫大な量の煩悩潜在印象を残して輪廻を繰り返すのか、万物の根底を支えているものに意識を向け、毎瞬すべての行為と結果を捧げ委ね導かれるのか。

 

動作を止めて目を閉じ意識を内に向け、言葉もイメージも湧かないほど一切の思考活動が静まった時に初めて、自分の本性を悟り、煩悩に伴う悩みが徐々に消滅し、エゴからなるものではなく魂の欲するものごとを欲するようになる。

それは、宇宙をも成した不可思議なるものの声。

 

目には見えない神聖な流れを感知するようになると、万物は優劣なく繋がっていることが分かる。

すると、エゴの視点では知り得なかった安らぎと豊かさを得られ、日々心穏やかに生きられるようになるのだから🍀

 

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