「日本は戦争で負けた」

とある映画の中で、主人公が敵である日本人に向けて放っていた言葉。

 

私はこの言葉が、どうも気になった。

終戦記念日が間近に迫った時期だからか、余計に気になったのかもしれない。

 

それは日本人だからでなく、西暦が2026年になっても未だに人類は、国境を超えて互いを思い遣ることができないのかと思ってしまったからだ。

 

フィクション映画であれ、アクション映画であれ、そのような言葉を敵に放つシーンがある時点で、過去に執着しているということであろう。

 

過去の栄光にしがみつき、現代でも優劣をつけ続け、どちらが上だの下だの言っている。

 

万物がそれぞれにとって心地よく、皆が裕福で幸せで、豊かであれるようにという視点に辿り着けていないのは、私利私欲というエゴの奴隷になっているからだ。

 

 

姿形は異なるけれど、究極的視点では万物はひとつ。

思議することが不可思議な宇宙の源で繋がっている。

 

だから、皆が尊重されるに値するのだ。

 

そこに国境はない。

 

 

人を見た目や肩書き、人種で判断するのではなく、魂で観れる人であってほしい。

 

人を過去の何かの指標で見るのではなく、魂を観れる人であってほしい。

 

それは、私をお遣わしになった、万物の根底を支える非実在たる根源的実在の声そのもの。

 

この世に今、この言葉が意味を持つからこそ、この人生を介して言語化され、表出しているのだから。