この世的な視点で賢いと言われる人や優秀と

言われる人、いわゆる偏差値が高かったり

IQ値が高い人が陥りがちなことがある。

 

それは、印がないと信用できないということ。

 

数字を信用し、歴史を信用し、

権力者の言葉を信用するなど、目に見えて

形になっていたり数値で証明されていないと

安心できないということだ。

 

確かにそれも

大事な視点ではあるだろう。

 

けれど、そういう人に限って

体調を崩せばすぐ医者を頼り、

何でも疑うことなく服用してしまう。

 

病でなくても、「あなたにはミネラル値が

不足しているから、このサプリを摂取

しなさい」とか、

 

「このミネラルが入った液体を普段飲む物に

入れて飲むといい」と言われれば、

まんまと買ってしまうのだ。

 

高価であればあるほど良い物だと安心して

しまうのも、数字という印や会社の

ネーミングという名の印に影響されて

いるからこそ。

 

これはほんの一例だが

 

印がないと信用できない場面が

多ければ多いほど、

 

束の間の流行や社会の流れ、誰かのエゴ、

時代や場所によって、不断に影響を

受け続けることになる。

 

その時々で指針が変わり、常識が変わり、

印に翻弄され続けていく。

 

先日まさに、賢い人との会話で

この場面を体感した。

 

相手は国立大学を卒業して大学院まで

行き、大手企業に勤めている人なのだが、

よく風邪をひくのである。

 

体調が崩れれば毎回すぐに薬を

処方してもらい、当たり前に服用し

治らなければまた処方してもらっている。

 

これは一見、普通であり一般的であり

当たり前とさえ見える行為かもしれない。

 

しかし、ごく普通と思われる対応をして

いるのに、よく体調を崩すこと自体が

本来はおかしいのである。

 

その人は今回、熱があり解熱剤を服用して

いたのだが、熱は平熱に戻ったのに

身体の痛みや怠さが取れないと言う。

 

それはそうだ。

 

解熱剤を飲み、体温計にて目に見える形で

熱は下がったとしても、数字が正常値に

戻ったとしても、身体は正直だからである。

 

体内に細菌やウイルスがまだまだたくさん

残っているからこそ、免疫は退治しようと

頑張っているのに、

 

薬で熱が出せなくなってしまったから

いつまでも怠いのだ。

 

免疫が機能しているお陰で発熱し

自然治癒がなされていることを忘れ、

 

すぐに薬、薬と対処療法ばかりでは

たとえ表面的にどれだけ寛解しても、

目には見えない領域では反動が起こるもの。

 

薬を服用してはいけないと言っているのでは

ないが、成果や数字や反応といった目に見える

印しか信用できないから、宇宙の流れから

切り離されてしまうのだ。

 

私は先の人に、実践智である免疫力を上げ

体調を回復させる方法を伝えたのだが、

ああだのこうだのと言い、印のない私の

方法をほとんど実践しなかった。

 

そして案の定、今も薬を服用しているにも

関わらず、ずっと体調を崩し続けている。

 

 

宇宙の流れという調和から離れ、成果や

数字や反応といった外側の印による力で

無理やり押せば押すほど、内の調和は

乱れていく。

 

これは病に限らず、何でもそうだ。

 

例えば、心惹かれるお店があったとする。

 

自分が好きで、気になっていて、興味がある

というその純粋な気持ちで選べばいいのに、

賢い人ほど綿密に調べる。

 

お店の評価という数字や、他者のコメント、

どこの雑誌にどれだけ掲載されているか

といった他人目線や社会の評価という印を

自分の本音よりも優先させてしまうのだ。

 

挙句の果てには、自分が行きたいから

行くのではなく、話題になっているから行く、

評価が高いから行く、有名人が勧めていたから

行くなどと、印によって動かされていくように

なってしまう。

 

そこには、自己満足や

承認欲求もあるのだろうが、

 

心の声ではなく

 

印に影響されているだけに過ぎない。

 

そして、外側の数字や成果という

印ばかりを気にしてしまい、内なる

神聖な声を聴けなくなってしまうのだ。

 

 

宇宙は力ではなく、調和によって動いている。

 

努力ではなく共鳴、力ではなく流れ、

これが宇宙の創造が持つ真のメカニズムだ。

 

この格言は、コンセントなどの電気システムを

開発したニコラ・テスラの言葉。

 

彼はとても賢い人だが、この言葉が出る時点で

理論や論理の領域に留まらず、目には見えない

宇宙の流れを感じ取っていたという証。

 

賢い人が陥りがちな点に惑わされず、

宇宙の流れと共鳴し、身を委ねることの

大切さを覚知なさっていたのである。

 

 

印だけがすべてではない。

 

目に見えるものだけが事実でもなければ

目に見えないからといって無いわけでもない。

 

いつでも、そこに、ある。

 

目に見える物事の奥にある

目には見えない普遍的な物事を

感知する力。

 

その崇高な感覚は、

元来誰にでも備わっている。

 

観ていないだけ。

磨いていないだけ。

 

 

固定観念や見栄、執着、

知恵に惑わされることなく

 

神聖な内なる叡智に

気づくだけのことなのだから🍀

 

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