海の水が蒸発して雲となり、流れるべき場所へ流れ着き、雨を降らせて大地を潤す。

大地に浸透した水は、それぞれの経路で川へと戻り、また海へと戻っていく。

 

海にいる時は海と呼ばれたり、波と呼ばれたりと、名称が変化する。

 

蒸発して雲になっている時には、すじ雲やひつじ雲、入道雲など、形が変わると名前が変わり、雨になっている時は、降り方によって霧雨や小糠雨、天泣や片時雨などと呼ばれ、季節によっても春雨、五月雨、秋雨などと変わる。

 

雨によって音も香りも変化し、大地に降り注いだ雨は植物の構成要素となり、土や砂の層を通ることで地下水や湧き水となり、人間を含めたあらゆる生命体の構成要素となる。

 

水分を吸った木々は、水を水蒸気として放出し雲を作り、大きくなった雲の粒が雨を降らせ、また万物を潤していく。

 

つまり、姿形や名称は異なるけれど、万物は繋がっているということ。

それぞれの構成要素となりながら、常に循環しているのだ。

 

行き着くべき場所へ行き着いてお役目を果たし、別の構成要素としてのお役目を果たしている。

 

そこには、優も劣もなく、上も下もない。

崇高な流れがあるだけ。

 

 

人間も、その崇高な流れの一部。

 

だから、我欲だけで生きてはいけない。

 

あらゆるものが姿形を変え、自分と認識している体と心の構成要素となってくれているのだから、自我による我欲ではなく、真我による魂欲とでも言うべき天命を全うし、宇宙の流れと同調する必要があるということ。

 

それが、真の調和。

 

 

万物は繋がっている。

万物を生かし、維持し、破壊するという人智を超越したリズムをも織りなす神聖な源と、誰もが繋がっている。

 

その源こそが真の自分なのだと覚知した時、目に見えるものや、起こる出来事の捉え方が変わり、自分が放つ思考、言葉、行動、その根底にある波動域が変わることにより、究極の至福と一体となる。

 

それは、人間だけができる人間として生まれた究極の業だ。

 

 

姿形、名称、特性、属性など、あらゆるものが個々に異なって見える多様性の奥にあるものがある。

 

万物の根底を成している普遍の豊かさそのものが、あなたの本性なのだから。