なぜ許しは、言に午なのだろう。ふと疑問が湧いた。
角川新字源改訂新版によると、形音で、音符午(ゴ)が(キヨ)から成るためで、相手の言葉に同意して聞き入れるということで「ゆるす」という意を表すそうだ。
ところで、「相手の言葉に同意して聞き入れる」には、一見受け入れ難いニュアンスを含んでいると感じたのだが、あなたは如何だろうか。
私がそう感じたのは、必ずしも相手のすべてに同意する必要はないと思ったからだ。
けれど、ありのままの相手を受け入れ、相手が相手であることを受け入れるという面で見れば、この言葉はすんなりと入ってくる。
相手がどのような意見を持っていても、それは相手の人生での価値ある考えであり、自分の意見は自分の人生での価値ある意見だ。
どちらが正くてどちらが間違っているかや、どちらが正解でどちらが不正解もない。
どの人の人生にも軌跡があり、価値があり意味がある。
このような視点で許すの語源を再度見てみると、ありのままの相手を受け入れる寛大な愛を感じた。
相手は相手で望む幸せの形があり、ありのままの相手だからこそ素晴らしい。
人が世界中に81億1900万人存在しているのは、お互いの良さを尊重し、それぞれがそれぞれの幸せを体感するためだろう。
完璧な人はいないからこそ、お互いがお互いを助け合うために、これだけの人が存在しているのではないだろうか。
そして、自分の人生の幸せだけではなく、相手の人生の幸せのために自分ができることをする。
様々な考えや価値観があるからこそ、愛ある思い遣りの「許しの心」を持つことで、お互いにとって心地よく幸せな時間が広がってゆく。
相手を説得したり、相手の考えを変える必要はない。
自分に考えがあるように相手にも考えがあるのだから、ありのままを受け入れてみる。
もしかすると、過去にあった出来事や今起きている出来事の中で、許せない場面もあるかもしれない。
相手を許せないなら、そんな自分を許してあげればいい。
誰しも今までの人生経験で、知らぬ間に相手を傷つけたり迷惑を掛けてきたこともあるだろう。
それもまた許し。
この物質世界で一歩一歩、魂を成長させていく同志なのだから、お互いを許す心を持っておきたいものだ。
許しには、ものすごい力がある。
相手や自分の言動だけではなく、自分が望む幸せを得ることを、誰にも遠慮せず自分に許していいということなのだから。
あなたがありたい姿を生きることを、自分に許容していい。
そして、相手が望む幸せを得ることを許容し、お互いの幸せを願えばいい。
許しという言葉には、神聖な波動が宿っている。
許すからこそ、心地よくリラックスした幸せな波動が放たれてゆく。
幸せな波動は、世界中にあるあなたが幸せを感じる出来事やご縁、環境と共鳴する。
そして、あなたの元へと引き寄せられ、あなたに幸福をもたらしてくれることだろう🍀