「あの時こうしておけばよかった」
そういった後悔をしたことがある人は、多いのではないだろうか。
数日前のことだけでなく、何年も何十年もその思いを抱え込み、自分を責め続けている人もいる。
確かに、起きた物事に対する反省や改善は大切なことなのだが、もっと深い意味での大切なことがある。
それは、あなたの魂の成長にとって、すべてがうまくいっているということ。
思い返してみてほしい。
当時は、それをしない理由や、それができない理由があったということを。
渦中にいる時のあなたが、これは言わない方がいいとか、こうした方がいい、しない方がいいと判断したことは、あなたのエゴを超越した崇高な導きそのものだ。
エゴが結果に対して何かを感じていたとしても、あなたの魂の学びにとって必要なことが日々起こっているだけ。
どのような出来事にも意味があり、あなた(エゴレベルでの)が後悔していたとしても、もっと高い次元(あなたの真我である魂)からあなたの人生全体を見れば、すべてがうまくいっているのだ。
だから、自分を責め続けたり、自分を卑下する必要もない。
起きた出来事がなんであれ、その重荷を神への捧げ物のように手放せばいい。
後悔や怒りや悲しみは、抱え込めば抱え込むほど、あなたの元に来るはずの幸を遠ざけることになる。
あなたという器の中に、過去の憤りを溜め込んだままでは空間がないので、本当の幸や豊かさが入ってこれないのだ。
執着を手放すほどに、あなたの人生にとって必要なあらゆることが拓いていく。
学ぶことを学んだのなら、後悔を手放していい。
その気づきは必ずどこかで活かされるし、なにより、あなたはいつでも崇高な流れによって守られ、導かれている。
例え、あなたが行こうと思っていた場所に行かなかったことを後悔していたとしても、それは当時、その方向にあなたは行かないほうがいいと、あなたのエゴを超越する力が判断し、あなたを守っただけのことなのだから。
良い悪いも、成功も失敗も、判断しているのはエゴなだけで、物事の背後にあるのは人智を超えたあるがままの流れ。
あなたの魂の成長にとって意味があり、必要なことが日々起こっている。
だだそれだけのこと。
後悔から解き放たれ、あなたは本来のあらゆる幸を存分に受け取っていい。
それを自分に許可してあげよう。
あなたが自分を愛し、許し、受け入れ、緩み拓くからこそ、あなたの元へと流れてくる神聖なものがあるのだから🍀