晴れてよし 曇りてもよし富士の山
元の姿は 変わらざりけり
山岡鉄舟の言葉には、物事の見え方を変えているのは自分の心だという真理を、再度思い出させてくれる。
いくつになっても、自分が身につけたいものを身につけ、やりたいことをやればいい。
好きな色を纏い、自分にとって心地よいものを選べばいい。
冠婚葬祭などの厳かな場面やドレスコードがある場所を除き、相手に迷惑を掛けていないのであれば、何を選ぼうと当人の好きでいいのだ。
「こうであるべきだ」「〜はあり得ない」と思い込むことで視野が自然と狭くなり、自分の価値観以外を受け入れ難くなることもあるかもしれない。
けれど、どんな場面でも、ありのままの相手を許容することならできるのではないだろうか。
私は今まで、40代後半でミニスカートをお召しになり、ピンク色のバックを愛用なさる女性にお会いしたことがある。ピンク色がお好きだったのか、小物もほとんどピンク色でまとめられていたのだ。
60代で膝が見える丈のノースリーブワンピースを愛用なさる女性に出会ったこともある。
他にも、テレビをふとつけた際にはピンク色が好きな紳士が出演なさっていて、ピンク色の商品を集めて販売しているお店を営んでいる様子が映し出されていたことがある。
私は、どれも素敵で魅力的だなと感じた。
色であれ、デザインであれ、本人が選んだものを好きなように楽しむことは、とても価値あることだからだ。
自分がウキウキワクワク幸せを感じているのであれば、自分の性に合っている合図でもある。
まだ年齢的に早いとか、もう歳だから遅いというものはなく、「こうでなければならない」というものも幻想に過ぎない。
富士山の形(ほんとうに大切なこと)はいつでもそこにあり、雲にかかった富士山の見え方が晴れた時と違って見えるのは、見ている人の心なのだ。
10代で黒色をシックに着こなしてもいいし、40代50代60代でパーカーを着てもいい。
70代80代90代でハイヒールを履いてもいい。
自分をありのままに、楽しく幸せに心地よく表現する美しさを、それぞれが堪能したいもの。
自分に好きなことがあるように、相手にも好きなことがある。
ありのままの相手を、純粋に許容すればいいのだ。
自然に褒め言葉が出てこないなら無理に褒める必要はないが、相手を自分の価値観で否定してしまうと、相手を傷つけてしまう。
相手がどれだけタフでも、自分の好みで選んだものを否定されていい気はしないだろう。
相手の好みに同意できなくても、相手の選んだものを尊重し、思い遣りある対応をすることはできる。
その根底にあるのは、愛だ。
愛ある生き方を選ぶと、言葉も変わってくる。
「お似合いですね」「素敵です」「綺麗な色味ですね」「お洒落ですね」「華麗ですね」「かっこいいです」「そのような考え方もあるのですね」などと、自然に相手の素敵な部分に目が向いてくる。
誰しも、否定されるよりも、肯定されたり共感される方が嬉しいものだ。
それは洋服や小物に限らず、どのような思考や言葉、行動も同じこと。
趣味嗜好は人それぞれだから、ついつい自分の意見を通したくなる気持ちも分かる。
「普通はこうだろう」「そんなのあり得ない」と、時にはまた言ってしまうかもしれない。
けれど、愛を選んでいくと、正しいことや画一的なこと、世間体や見栄ばかりではなく、楽しいことやお互いにとって幸せなことを選んだ方が、心地よいなと分かってくる。
例え同意することはできなくても、相手の気持ちに寄り添ったり、相手の背景を尊重することはできると思えてくる。
まさに、相手を許容するということ。
ありのままの富士山を眺め愛しむことであり、相手ではなく自分が、その見え方を曇らせているだけのことなのだ。
それに、目に見えるものがすべてではなく、もしかしたら本人は別のものを望んでいるけれど、何かの理由で今は変えられずにいるのかもしれない。
大切な人からプレゼントされた思い出の品で、ずっと身につけていたいのものなのかもしれない。
いろんな意見があっていいし、時にはディベートのようになる場面があったとしても、その根底には相手を思い遣る愛を忘れずにいたいもの。
様々な事情や、背景や、考え方があるのだから。どの人も、何かお役目があり、それぞれ今世の履修課題であるカルマがあり、何か意味があってここに生かされている同志なのだから。
姿形は違えど、地球や宇宙という波動、エネルギーの中で繋がっているのだから。
一つ一つの魂が愛に目を向けたら、世界はもっとよくなっていく。
心の豊かさが、新たなる豊かさを生み出し、愛の波動に一致した現象と環境を創り上げていく。
それが、エネルギーのなせる技。人間の想像を超えた叡智が、愛にはある。
人の一生は、宇宙から見ればほんの一瞬。
その尊い時間の中で、どのような思考、言葉、行動を選ぶのか。
肯定的なもの、否定的なもの。積極的なもの、消極的なもの。生きとし生けるものの中で、人間だけが、霊長類だけが、思考を駆使し、言動を自由自在に選べる恩恵に与っていることを忘れずに。
富士山は、いつでもそこにある。
時代がいくら変わろうと、大切な何かを、一つひとつの魂に問い続けてくれているのだから🍀