
自分好きな人は、ナルシスト。
そのような考え方は、いつどこで生まれたのか不思議である。
どこがナルシストなのか。
なぜ、自分を好きではいけないのだろうか。
「自分は美しい、自分は価値がある、自分は最高だ。けれど、あなたは違う」
そう言ったのなら、ナルシストだろう。
他者と優劣をつけようとする欠落思考は、実は自分を愛せていない証。
自分を愛し、許し、受け入れられているからこそ、他人を愛することができる。
自分を大切にできているからこそ、他者の良い面が自然に見える。
自分を尊重しているからこそ、ありのままの相手を尊重できるのだ。
他者に対して、悪口、陰口、不平不満が絶えない人は、内なる負の波動が外側に反映されていて、自分自身を大切にしている人が憎く見えてしまう。
自分を真に愛せていないから、攻撃せずにはいられない。反発せずにはいられない。
そうしないと、自分を保てないから。
誰でもみな、愛ある人である。
根が悪い人はいない。
けれど、今までの人生経験を通して、何かがきっかけで本当の自分を出せなくなってしまうことがある。
それが、自分を愛せなくなくなってしまう原因だ。
あかの他人に言われた何気ない言葉、友人に言われた冗談、親に言われた固定観念などに心が囚われているだけに留まらない。
人前で恥ずかしい思いをした経験や、苦い思いをした経験、素直に表現した感情を他人に否定されたり拒否されたりすると、自尊心が傷ついて偽りの自分を演じていくようになってしまうのだ。
このようなあらゆる仮初の物事に執着せず、学ぶことは学んで手放せていれば良いのだが、「今の自分ではダメなんだ、価値がないんだ、自分なんて嫌いだ」と思い込みすぎてしまい、自分を好くどころか、自分の外側(外見、持ち物、肩書き、資格、経験値など)をいくら満たしても緊張と混乱が広がり、心は満たされなくなっていく。
すると、自分にはない徳目を持っているように見える自分好きな人を、ナルシストと言ってしまう。
それはただただ、「自分も本当は、自分を愛したい」という心の現れなだけだ。
これは、努力をしてはいけないとか、より良い自分になってはいけないという意味ではない。
自分という存在を創造し、今に生かしている高次元の存在が備えてくれた、唯一無二の魅力と才能、感性を臆せず表現することが大事だということ。
その根底にあるのは、自分自身を愛すること。
真の自分を表出させるための手段や方法、時期は、然るべき時に知る。
すべきことは外側からではなく自分の内側から、確かに示されていく。
まさに、努力を超えた宇宙の流れとの共鳴。
真我との合一。
あらゆる瞬間を日々尊び丁寧に過ごしていれば、ありのままの自分を好き、ありのままの相手を尊重している自分に気づくことだろう。
自分好きは、ナルシストではない。
自分好きな人は日々魂の修行をし、自身のお役目を果たしている崇高な魂であり、自分を創造した主を尊重し、主の働きかけにより自分を全開で生きているだけなのだから。




