開けるまで、何が出てくるのか分からないのが良いガチャポン。

これを人生にも当てはめて人生ガチャと呼んだり、親ガチャと呼ぶのは面白い視点だとは思う。

 

けれど、それはあくまでエゴの視点。

 

魂の視点からすれば、人生も親も、起こる全てがその人にとって必要であり、意味を成しているのだ。

 

身体に宿る魂は、過去世からの莫大な量の煩悩潜在印象を伴い、そのエネルギーを今世消化するに相応しい姿形を選び、魂が本来の光を解き放つために必要な親の元に生まれ出、自身の浄化と魂の学修に必要な環境や状況を日々引き寄せている。

 

つまり、人生や親はガチャガチャのように見えて、実は自分で選んでいるということ。

 

エゴレベルでの自分ではない。

魂レベルでの自分が、最も必要な物事を自然に選んでいる。

 

だからこそ、徹底的に受け入れ、今できることに集中することが欠かせない。

 

拒否して逃れても、手を替え品を替え、何度も何度もやってくる。

過去世からの煩悩潜在印象と、今世積んだ煩悩潜在印象に伴う宿業は、エネルギーが消費し尽くすまで機能する。

それが、その者の今世の修行だから。

 

目の前の業を果たし終え、その環境での魂の学びが終了した時、次の課題がやってくる。

次の課題を行うに相応しい環境へと、然るべきタイミングで導かれていく。

 

 

人生も親も、ガチャポンのようにたまたまそうなったのではない。

究極的視点では真の自分が選んでいるのだから、他者を羨んだり、比較したり、優劣をつけるよりも、宇宙の流れと調和しながら、自身の業を日々淡々と果たすのみ。

 

今の自分ができることを無心に行なっているうちに、自然と次の道が拓いていく。

争ってエゴの力で押すよりも、自分という存在を成し生かしている崇高な流れに順応した時、人生や親をガチャポンなどと呼ぶことは無くなるだろう。

 

 

人が古くなった服やサイズの合わなくなった服を捨てて新しい服を着るように、身体に宿る内在者である魂は、今世最も学びに適した人生を選ぶ。

 

己の進化向上、変化変革に適したことが、毎瞬起こっている。

 

そこには良い悪いもなく、あるのはただ、あるがままの流れなのだから🍀

 

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