今の時代には珍しいことだが、私は先日道端で1円玉を拾った。

普段から通っている道にポツンと落ちていたのだ。私はすぐに気づいて拾い上げ、自宅で丁寧に拭きあげた。そして今は、今度募金箱を見つけたら入れるために保管している次第である。

 

私はこの1円を自宅で拭いている時に思った。

この1円玉の元所有者は、1円を落としたことにすら気づいていないということ。そして、この1円を道行く何人もが目にしていたであろうに、誰も助けなかったということを。

これがもし、1万円だったら?

恐らくこの道を通った誰もが気づき、何らかの行動をすることだろう。

 

札束だったら?

警察に届ける人や持ち帰る人もいるかもしれないが、いずれにせよ、1円玉の時には起こさなかった反応を見せるはずなのだ。

 

でも、よく考えてみてほしい。

どれほどの桁数のお金であれ、元は1円なのだ。

1円が積み重なり、5円、10円となり、50円、何百円、何千円、何万円、何百万円、何千万円、何億円、何兆円と桁が増えるだけ。

1円足りないだけで桁数が減るくらい、1円はお金の根底にあるもの。

 

根っこにあると見えづらいし、感謝しづらいかもしれない。

花のように、華麗に咲いている部分に目が向き、葉っぱや茎、土の下の根にまで意識が向くことは少ないかもしれない。

けれど、お金も大きな単位だと嬉しくなったり感謝したりするのに、1円だと気づかないようでは、いつまでもお金に恵まれることはない。

一時的に大金を得たとしても、どこかで調整が行われてしまう。

なぜなら、大金というのは、1円が積み重なったからこそできたものだから。

 

1円を落としてしまっても気づかなかったり、落ちていることにすら気づけない人や、気づいているのに拾ってあげる勇気もないのでは、お金は悲しむ。

逆に1円の価値を知り大切に扱えると、どんどん自分の元に集まってきて、気づけば資産の桁数が増えているという現象を体感できるようになる。

 

それくらい、お金は摩訶不思議なもの。

万物を成した高次元の存在よりもたらされ、循環し、戻っていくものなのだ。

 

そもそも、お金が落ちていた公共の道路ですら、お金のお陰で作られたものである。

道路があり、その上を歩けるのは当たり前ではない。

物の背後にも、お金が関わっている。

 

 

お金は有り難く価値があり、すべてが、究極的視点では高次元の存在のもの。

 

それを知り、日々叡智を深めるほどに、見えてくるものが変わる。

自分の考え方が変わる。

 

するとあなたの現実も、あなたにとってより豊かに変わっていくのだから🍀

 

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