人は日々、何かしらの行動をしている。
意識的であれ、無意識的であれ、積極的であれ、消極的であれ、どのような環境と状況においてもだ。
この行為を成す時、あることに焦点を当てると、その行為があなたにとってのエネルギー転換点となる。
あなたから放たれる波動が変わり、あなたに起こる出来事や環境、状況が、真にあなたにとって心地よく、幸せで豊かなものになっていくのだ。
その方法は、行為に対して無執着になること。
多くの人は、その行為を行う時に損得勘定をしたり、やりたいかやりたくないかなど、真我(本当のあなた)の声ではなく、エゴ(本能)で選択をしてしまう。
生命の安全を守る上でエゴは欠かせないし、エゴはあなたの実年齢に問わない無邪気で純真なインナーキッドでもあるのだが、エゴで物事を判断し行動をしすぎると、あなたに煩悩潜在印象という鎧を纏わせ、それによって起こる行為を永遠に行うという輪廻に縛り付けてしまうのだ。
今世も来世も、生きては死に、またこの世に生まれ出て苦楽を経験し続けるという輪廻、つまり、エゴの奴隷になってしまう。
自分にとって心地よいものを選んでいくのは正しいし、良いこと。
けれど、今、あなたの人生で「やらなくてはいけないこと」が目の前に現れた時、あなたは淡々とそれをこなさなくてはならないのだ。
それがどのような仕事であれ、作業であれ、掃除や家事であれ、ふとした時の行動であれ、大小を問わず目の前に現れたものは、あなたの宿業だから。
この輪廻から脱するには、無執着になるしかない。
無執着は、古代インドの経典ではヴァイラーギャと呼ばれている。
行為をどのような思考や感情で対応してもいいのだが、無心に目の前のやるべきことをこなしていくと、煩悩潜在印象(エゴ)が徐々に消滅していく。
そして、自身が生まれ持った宿業潜在印象(カルマ:今世の履修課題)も減少していくことにより、本来のあなたになっていくのだ。
無心に行うその行為の対象が、あなたの魂の成長にとって不要になれば、それを行わなくてもよくなる。つまり、あなたのいる環境が自然に変わる。
エゴの拘りから無執着になり、純粋なあなたになればなるほど、あなたが受け取るべき豊かさや愛の波動と共鳴し、本来の幸を受け取れるようになる。
受け取るものにも固執しなくなることで更なる煩悩も生まれず、輪廻から脱する道に繋がっていく。
何がしかの行為を無心に行うというのは、行為者主体を手放すということだ。
そして、結果もすべて捧げるということ。
あなたを創造し、生かしている高次元の存在に。
行為の先にある結果に執着せず、結果が歓喜するものであれ落胆するものであれ、平等に見る。
それが、無執着だ。
ここで、無執着について具体例を挙げてみよう。
あなたが職場や家の掃除を自分がする時、あるいはしなくてはいけない時の思考には、このようなパターンがある。
A. 掃除をすると気の流れがよくなると聞いたから、掃除しよう。
B. 掃除をしたらいいことが起こるはずだから、掃除をしよう。
C. 褒められたいから、評価されたいから掃除をしよう。
D. 掃除をしなくてはならない。めんどくさい。やりたくないと思いながら掃除をする。
E. なんでいつも自分ばかり掃除をやらなくてはいけないのかと思いながら掃除をする。
F. お金さえ払えば誰かがやってくれるから、自分は気にしなくていいと見て見ぬふりをする。
G. 綺麗な方がいいが自分ではやりたくないから、誰かに(それも安く)やってもらおうと、見て見ぬふりをする。
H. 私は掃除をする。今、目の前にある自分のやるべきことだから。
A、B、Cは、行為を始める前向きな動機だ。
初めはそれでもいいが、これは結果を期待していることになり、煩悩が積まれる。
DやEは、せっかく自分の宿業を行うチャンスなのに、更なる煩悩を積むことになる。
F、Gは、暗性的な見方だ。どこかのタイミングで、そのエネルギーの乱れを補填しなくてはならなくなる。
Hは、無執着であり、自身のやるべき行為であるダルマを行うことになるので、煩悩が滅せられてゆく。
このように、見た目は同じ掃除をするのでも、行う人の意識の向け方次第で、煩悩が更に増して輪廻に加担してしまったり、逆に煩悩を滅していくこともできるのだ。
煩悩は、借金のようなもの。
今世か来世かは分からないが、いずれは返さなければならないのだ。返し、消滅させる必要がある。
消滅するまで、何度も何度も、新しい身体に生まれ変わる輪廻を繰り返す。
それを抜け出すには、無執着を実行していくしかないのだ。
徐々にでも。
欲は誰にでもあるもの。
けれど、いつまでも動性的に生きるのか、または、人間として生まれた意味を悟り、自分がやるべき宿業を行うのか。
それは、あなたの魂が選ぶこと。
今世達成できなくても、いつか行えばいい。
難しく考えず、気楽に生きればいい。
もし、どこかのタイミングで、富や地位名誉、肩書、あらゆる物や経験をいくら得てもなお、いつまでも満たされない心があることに気づいたなら、ヴァイラーギャを始める時だ。
そこから始めても遅くはない。
それぞれの魂に、それぞれの成長段階がある。
それぞれに適したタイミングで、心の浄化を行えばいい。
あなたを生かしている高次元の存在は、あなたの道(タオ)をあなた以上にご存知なのだから🍀