古代インドの経典に、イーシュヴァラ・プラニダーナという言葉がある。
これは、神への祈念、神にゆだねるという意味だ。
日々のあらゆる出来事を前にして、多くの人はエゴで対応する。
もっとこうしたい、これは最高だからこのまま続けよう、これは好きだけどあれは嫌い、あれを手に入れたい、もっとこうありたいからこうしようと。
それらの決断は悪いことではないのだが、その決断をする前に、あなたは内側で何かを感じているはずなのだ。
いい感じ、悪い感じ、なんとなく嫌な感じ、心地よい感じなど、言葉で誰かに証明できなくても、自分の中で感じている直感を。
そして、見栄やしきたり、固定観念、執着によって起こる感覚や、五感と今までの経験値からなる感性を超えた直観を。
この崇高な感覚に身をゆだねることが、イーシュヴァラ・プラニダーナだ。
自分のエゴによる欲や考えは一旦置いておき、それが叶っても叶わなくてもどちらでも良いと思える感覚。
ゆだねるからこそ、神のタイミングと調和した正当な方法で、自分にとって意味があり必要なことが満たされていく。
何を手に入れようと、いつどこで何をしていようと、今所有している物や肩書がなんであろうと、すべての行為と結果が神のもの。
お金も物も時間も空間も、あなたという存在も、大元を辿れば神のものだ。
だから、その神聖な流れに奉仕する、つまり身をゆだねると、エゴでは達成されなかったあらゆることが起こりだす。
エゴの制約からあなたが解放され、「あなた」という真の姿である魂と共鳴し、あなたをあなたとして創造した神の恩寵によって、あなたが得るべき本来の幸を存分に受け取れるようになる。
エゴからなるものではなく、あなたという真の姿から与える魅力や才能だからこそ世の至高善となり、あなたも存分に受け取れるという好循環が生まれていく。
宇宙や神をコントロールして、自分の思うままに現実を創造しようと思っていても、結局は神の手中なのだ。
あなたのエゴを神が不要と思えば、あなたの意思に関係なく強制終了させられる。
それくらい、神の豊かさは不可思議だということ。
反発したり抵抗するよりも、崇高な流れに奉仕し、身をゆだねてみればいい。
いつでも、外側ではなく内側に、あなたを望みの方向へと導く真の指針があるのだから🍀