
あなたに日々起こる出来事を通して感じることは何であれ、潜在印象として刻まれていく。
幸せだな、有難いななどと、穏やかで平和な感覚でいればその潜在印象が刻まれ、
ムカつく、嫌だななどと否定的な感覚でいれば、その潜在印象が刻まれる。
潜在印象は己の中に刻まれるので、
やがてはその潜在印象に伴う何かを体感することになるということだ。
つまり、他者や何かの状況に対して悪口、陰口、不平不満を言ったり、態度や仕草で攻撃したり、相手の心を傷つけるようなことをすると、
その行為に伴う潜在印象が刻まれ、今世なのか来世なのかは分からないが、必ず何かしらの形で返ってくる。
それが、潜在印象。
否定的な感情というのは、肯定的な感情よりも厄介である。
否定的な言動を通して束の間の優越感に浸ったり、満足感を感じたり、集団で仮初の一体感を感じてしまうと、それが精妙なまでに潜在印象に刻まれていく。
そして、己が内に蒔いた潜在印象という種を、時期が来ればいつかは刈り取らなければならないというわけだ。
では、どうすれば良いのか。
喜怒哀楽が起こることは普通であり、ごく自然な反応なので、抑え込まず素直に感じる。
大事なのは、その後。
自然な反応を野放しにして、潜在印象に刻んでしまうのは普通の人だ。
否定的な感情は誰にでもあるものだが、魂の学修をする高い志を持つ者であれば、今世不要な潜在印象を刻まない選択をしたいもの。
たとえば、誰かや何か、状況に対して違和感を感じた場合、その違和感は偽らず素直に感じる。
そして、追い払おう、避けよう、拒否しようという強い負の波動域で言動を選び、否定的な潜在印象を刻むのではなく、視点を変えお互いにとって心地よい選択をするのだ。
選択というのは、目に見えるものでなくても良い。
万物は究極的視点で観れば皆繋がっているのだから、「自分も相手も心地よく、幸せであれますように」と意識してみたり、安寧を願いながら今できる善性的な言動をする。
すると、平穏な潜在印象が己に刻まれ、過去に自分が積んだ古い潜在印象が滅せられる。
これは、自分がやらなければならないことをする場合も同じ。
何かを期待したり、見返りを求めて行なったり、渋々行うと潜在印象が残るが、無心に精一杯、自分がやるべきことだからという意志で行うのなら、潜在印象が滅せられていく。
このように、喜怒哀楽を感じた後、どこに意識を向けて何をするのかは己で選ぶことができるのだ。
誰しも過去世からの潜在印象に伴い、生まれてくる。
生まれては死にという輪廻を繰り返している。
自らが過去に積み上げた潜在印象を通して、日々無意識に行動に促されているに過ぎず、潜在印象を滅しない限り苦楽を伴う輪廻は永遠に続く。
行為者主体に見えて、潜在印象による行為に強制的に促されているだけ。
いわば、エゴの奴隷になっているのだ。
だから、潜在印象を滅し、今世も不要な潜在印象を積まないようにしなくてはならない。
己の心身が浄化され、魂が進化向上するに適した出来事が日々起こっている。
それが、魂の修行。
人生で起こるあらゆる苦楽を同等視し、無心に精一杯対応する者には平穏が訪れる。
潜在印象というのは、実に精妙。
摩訶不思議なのだから🍀




