
この物質世界には、感覚器官を
満たす物事で溢れている。
綺麗なもの、美しいもの、かっこいいもの
お洒落なもの、可愛いもの、煌びやかなもの
快適なもの、便利なものなど実に多彩だ。
それらを自分に取り入れ、自分と一体化させ
「自分はこういう人だ」と思うのは
ごく普通なことである。
けれど、
自分の外側にあるものをいくら身につけても
どれくらい獲得しても
どれほど体感しても
心からあなたを満たし続けることはない。
安心感や満足感、高揚感や優越感は束の間で
対象物への興味関心が永続することは
ないばかりか、
所有したものへの執着
獲得したものが喪失する不安
不足しているものへの葛藤
手に入っていないものへの怒りなどが
更なる感覚器官を満たす行為へと
あなたを誘い束縛してゆく。
行為者主体に見えて
実はエゴの奴隷になっているだけなのだ。
これは、感覚器官を満たす物事を
断絶しなければならないというわけではなく、
常に外側に向く忙しない目を内側に向け
自分自身の真の姿を悟り、内なる幸せを
見出すことは
この世的な無常の物事とは
比べようもないほどの価値があるということ。
あなたの真の姿とは、
至福そのもの。
至高なるものより生じた
一時的な仮初の体に宿る至福なる存在。
思議することはできないが
万物の根底を支えている宇宙意識。
それこそが
あなたの本性なのである。
これを真に悟ると
この世的な物事に付随する悩みや葛藤が
一気に根底から消え失せることだろう。
純粋絶対なる至福を内側で観知したなら
自分自身なのだと思い出したのなら、
外側にあるものは
全く取るに足らないものとなるからだ。
すると、何かを得たとしても
執着することがなくなり
何かを失ったとしても嫌悪しなくなる。
すべてが流れゆき、変わりゆく一時的な
ものとして平静に観られるようになる。
この世に生きていながらも同等感が確立し、
いつでもどこにいても
心が満たされていくようになる。
万物が至高なるものより生じた
豊かさそのものであり
自分も至福そのものなのだという
叡智を獲得することは
いくらお金を払っても買えないもの。
自分で観知しなくては
体得できないものなのだ。
それは、あなたの中にある。
燦然と輝くあなたの本性が
いつでもあなたに気づいてもらえることを
ずっと(ことによると幾千回もの転生を経て)
待っているのだから。




